西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

近所のおばさん

 長女とマンションのエレベーターを待っている。背後からひとの気配がして振りかえると、向こうから小学生が下校してきたところだった。

 7階のNさんちの次男坊だ。

「お帰りなさい。あら、Nさんちの弟くんじゃない」

 弟くんは、このおばさんどうして名前を知っているんだろう、そんな訝しげな面持ち。

 あら、わたしったら、怖がらせてるんだわ。余計な恐怖心を解いてやりたい一心でさらに話しかける。

「1年生だっけ?」

 弟くん、目を逸らしながら無言で頷く。

 と、そこへ、もうひとり小学生が走ってきた。

「お帰りなさい」「ただいま」

 8階のTさんちの三男坊。彼はわたしがどこの誰かを知っている。

「1年生だったよね。同じクラス?」

 二人でうなずく。Nさんちの弟くんは仲間を得て、小さなカラダから緊張のかたまりが消えた。こちらもホッとする。

 

 なんとなく居心地の悪いエレベーター内。4階でエレベーターを降りるや非難めいた口調で長女が言った。

「どうして話しかけるの?挨拶だけにすればいいじゃない」

「子どもは知らない人とエレベーターに乗るのが怖いんだから、話しかけて怪しい者じゃないことをアピールしなくちゃ」

「でもあの子、名前を言われて怯えてなかった?」

 そりゃ、少しは警戒したかもしれないが、しかしこれで近所のおばさんだとわかったはず。近所のおばさんならば、過ぎる警戒は不要となるだろう。

 良かれと思って話しかけても不審者と勘違いされかねない一方で、思いもかけず顔見知りがよからぬことをするご時世でもある。哀しいかな、近所のひとだから安心安全とはいかない。

「ただの近所のおばさんです」カードを首にぶらさげて歩くわけにはいかないし。

 

 考えてみれば、大人のわたしだって見かけないひととエレベーターに乗り合わすときは、どこか身構える。身構えることも必要だとしても、子供だけでなしにに大人たちが日常の挨拶を交わしながら、ご近所同士顔なじみになってゆくことは心強さにつながるのだろうし。

「あたしなら、話しかけないでほしいな。話しかけられるほうが怖い」

 と大学生の長女。そういうひともいて然り。

 わたしは。わたしはことばをかわしながら、小さいひとたちに顔を覚えてもらおう。

 

 

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来年度の手帳が出回る時期になりました。

写真は長女の歴代の手帳。来年は何色なのでしょう。  

西野  そら