西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

彼岸花

 呆気なく終わってしまった感のある夏に季節のめぐりを感じつつも、てっきりあの暑さは戻ってくるのだろうと思っていた。

 ここのところの夏ときたら前倒しでおとずれ、いつまでも居座る。10月の衣更の時期でさえ半袖の服を手放せず、 結局、通年Tシャツ数枚は箪笥の抽斗に入ったままだ。

 ことしは8月の終わりあたりから秋めいてはいたけれど、寝具はタオルケット一枚の夏仕様というふうに、戻るであろう暑さに備えていた……。あの夏の居座り方をわたしは用心しているのだ。

 が、意に介さず秋はどんどん深まってゆくのだった。

 ついこのあいだまでねっとりとした暑さに萎えていたにもかかわらず、後ろを振り向きもせずにさっさか行ってしまいそうな(あるいは行ったのかもしれない)夏に「早過ぎる!」と文句を言いたいような心持ちになろうとは、まったく手前勝手なことである。

それでもこれで、はい終わりとはどうしても思えなかった。

 あぁ、本当に暑さはもどってこないのかしら。

 半信半疑だった夏の終わりが週末のランニングで確信にかわった。

 先々週のランニングでも、路地に咲く数本の赤色が目の端にとまってはいた。

「あっ、彼岸花」こんな程度に。

 それがこの週末は公園にも、よその庭先にも、うちのマンションの花壇にも圧倒的な真っ赤なかたまりをみつけ、目が離せないほどであった。

 仲秋のいま、やっぱり、秋になっていたのだとようやく秋を味わう。いや実ところ、八百屋では栗、柿、巨峰、魚屋では秋刀魚たちと、すでに目が合い季節の移りをみとめていたのだ。わたしはただ「暑さは戻る」とした予想がはずれたことを認めたくなかっただけなのかもしれない。

 かつてこれほど彼岸花に心惹かれたことがあっただろうか。秋を知らせる彼岸花が目についてしかたない。

 

f:id:sosososora:20150929093018j:plain

この彼岸花は枯れ始めていました。

残念。

西野  そら