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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

好きなように

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

 

 ——保護者会のまえにうちで紅茶でも飲みませんか——

 友人からメールが届いた。保護者会まえの1時間限定という気楽な誘い。

 ——飲みます、飲みます。お誘いありがとう——

 こう返信をしてから数日後、いそいそと友人宅の呼び鈴を押す。

 数ヶ月まえに彼女の母上が亡くなってからはじめての訪問であった。巨峰をお仏壇に供えてもらう。

「ありがとう。母、果物が好きだったから喜ぶわ」

 このやりとりで「お母さんが亡くなった」ことををあれこれ話さずも、友人とわたしは承知しあえたと思えた。

 互いのことをなんでも話すほどの近さではないが、時間にしたら短くはない付き合いだ。立入らず、知ろうとしすぎず、程よい距離がある。

 きっちり1時間、とりとめのない話しをしながら、1杯の紅茶をご馳走になった。ほんとうに紅茶1杯。友人のこういうところ、驚きはするが実はそうとう信頼につながっている。

 いくらお茶の誘いであっても、目的はおしゃべり。だから、お茶一杯、なんなら水一杯だってよいのに、たいていは茶菓子がだされる。ときには手作りの菓子が用意されている場合もある。そういうものだと思ってい るからだろう。もてなしの精神が刷り込まれているのかもしれない。

 わたしも友人を招くときは茶菓子込みで考えていた。そうしたいからではなく、そうするものとして。

 ところが、招く側がしたいようにすればよいのだと、紅茶1杯で十分なのだと、あの日、なにかが腑に落ちた。考えてみると、自分の本意を顧みず常識的だと思われることにどれほど流されていることか……。 

 自分のすきなように(したいように)生きる。自分のしたいようにする。当然のことであるようだけれど、こんなシンプルなことをわたしは十分にはしていない、ようだ。

 『職業としての小説家』村上春樹スイッチ・パブリッシング)。

 偶然にも「自分のやりたいようにやる」というようなことが書かれた章があった。

相手のことはおもうけれど、そのおもいは最終的に自分にもどる。それだからやりたいようにやればいい。

覚悟はいるだろうけれど、誰の人生かって、そりゃわたしの人生だもの、やりたいようにやらなきゃ、ね。

 

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義母(はは)が入院している

新潟の病院から見えた20日の夕日です。

西野  そら