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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

言い間違い

今週のお題「思い出の先生」

 長女が小学3年生のときのこと。13年前のはなしである。

 その日は朝の会の時間を利用した読み聞かせの当番であった。

「おはよう」「あっ、Kちゃんのおかあさんだ」「なに読むの?」

 女の子数人がおもいおもいに声をかけてくる。それに応えながら、賑やかな教室を見渡した。教室には陰湿の欠片も見えない。学級崩壊なんて、ホントだろうか。

 噂の種は一人の男の子。

 なんでも特定の子を叩いたり、消しゴムを当てたり。授業中、先生に歯向かうこともあって、そんなとき教室はざわつくらしい。

 真実の程はさだかでないが、そんな話が耳にはいってきたのだった。

 

 朝のチャイムを合図に、絵本を読みはじめる。

 それまでの喧騒がおさまり、子どもたちはわたしの声に耳をかたむける。絵本をまじろがずに見るどの瞳もキラキラ、ほんとうにキラキラしている。

 子どもの知識欲はつよく、得た知識はスポンジのごとく吸収してゆく。もとより子どもは本が好きなのにちがいない。あの好奇心でキラキラ輝く瞳をみると、本嫌いの子どもなどいないと思える。 

 2冊目の絵本を読み終えたそのときだった。

「せんせい!あっ、ちがった。おかあさんだ」

 感想を言おうと手を挙げたのは件の男の子。わたしを先生と言い間違えて、恥ずかしそうにニヤニヤしながら、しかし最後はキッパリと言った。

「2冊のうちの1冊は読んだことがあるけどやっぱり、面白かった」

 

 学級崩壊。どういう状況でそうと決めるのか、これもそれぞれ捉え方はことなるにちがいない。が、このときは学級崩壊ということばはピンとこなかった。

 叩かれた側のお母さんの心配、そこを取り巻く保護者たちの心配が心配を呼び、尾鰭(おひれ)のついた噂が学級崩壊ということばまでになったのらしい。

 それだから噂の種となった子どもは、叩いた子も叩かれた子もいくばくかの居心地の悪さを感じていたかもしれないと、思うのだ。

 小学3年生。ことばがでずにときにはつい手がでることもあろう。叩かれた子にしても親が思うほど大袈裟にとらえていないとすれば、大人の先走りが子どもを傷つけることもある。

 以来、わたしを「せんせい」と呼び間違えたあの男の子を見かけるたびに、じっと見守る大切さを思い返した。

 

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小学1年の図工の時間に作った長女の自画像の版画、

となりは次女が小学1年のときに描いた海の絵です。

西野  そら