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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

はじまりは雨

 

 夫がひとり遅い晩酌をしている。

「小糠雨(こぬかあめ)って、どんな雨か知ってる?」

 唐突に思い出したようにこう言った。

欧陽菲菲の歌にあった小糠雨のこと?」

 この日、まさにこの歌が頭に流れてきたのだとか。会社にいたとき突如として。

 そして調べたそうな。

「すごく細かい雨のことらしいよ」

 細かい雨といわれて思い浮かんだのは霧雨だった。

「小糠雨と霧雨の違いは、なに?」

 予想外の質問にたじろぐ夫。しどろもどろの解説はいまひとつハッキリしない。こんどは私が調べる。

 霧雨=霧のように細かい雨。雨粒が0.5mm未満の雨(気象庁の定義)

 小糠雨=糠のように非常に細かい雨粒が音を立てずにふるさま。という表記をみつけた。

 雨の形態と雨の降りかたのちがいであるらしい。

 夫とわたしは小糠雨を「ミストサウナ」のあの感じだろうと落着した。

 このたびの調べでわかったことはほかにもあった。雨を表現する言葉の多さである。その数といったら……。

 細雨。村雨。片時雨。涙雨。秋時雨。山茶花梅雨……。インターネットと辞書の中には50以上の言葉が記されているのだ。

 解説を読む楽しさ。日本人の情緒が言葉をつくるのか。あるいは、それだけ日本は雨が多い国ということなのかもしれない。

 この8月の終わりには雨がつづいた。あれはなんと呼ぶのがふさわしい雨だったのだろう。

 あまり強くない雨がしとしと降り続く様を表す、細雨か。

 降り出してはすぐやむ、村雨か。

 9月の始まり、今朝の7時ごろ。

「来て、きて。これ、小糠雨じゃない?」

 音もなく降る細かい雨に思わず、夫を呼ぶ。

 

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 鍋敷きの一つは滴型です。

ちょっとこじつけが過ぎますね。

西野  そら