西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

テレビってやつは……。

 

 9人の選手が走り出す。空(くう)に道を拓くように低い視線で速さをとらえる。

 右脚で蹴り上げ、前にでた左脚が着地。着地をしたとたん蹴り上げ、右脚が着地する。その繋がりが早さを増す。残像現象。脚が描く円はまるで車輪。いや足輪(あしりん)……。

 コースの半分を過ぎたあたりから横一列が崩れた。軀のひと際大きいウサイン・ボルト選手がスーと抜けた。ひとつ隣のガトリン選手も後を追って抜けた。ゴールしたのは、ボルト。

 あっという間の100メートルは時間にして9秒79。

 ボルトとはかくれんぼ、できないな。鬼で10秒数える間に、100メートル向こうに行かれたら見つけられそうにないもの。

 それにしても。

 テレビってやつは……。

 ボルトの走りを見ているだけで、わたしも早く走れると錯覚をよぶ。どうしてだか、あの足輪ができなくはないような心持ちになってゆくのだ。で、走る。走ってみる。

 無論、足輪には遠く及ばず、錯覚、錯覚と自覚する。

 この現象はテニスの錦織圭選手を見ても然り。水泳に至っては、どの選手が泳いでいようともその気になる。つまり、一流選手とまでは言わなくとも自分も容易くできるような錯覚に陥ってしまう。

 きっと実際に現場で観ていたらこんな不遜な思いに至らないだろうに。映像では映しきれない選手の放つ空気、観客の応援は後押しになろうが独りで戦う厳しさを知らしめるからにちがいない。

 「言うは易く行うは難し」

 「見るは易く行うは難し」

 映像では計り知れない事ごと。体験をして初めて理解できる事ごと。

 8月に何度も目にした戦争の恐怖。きっとその場に身をおけばこの想像は想像に過ぎないとそのときにはじめて解るのだろう。

 この体験はしたくない。子供たちにもさせたくない。

 体験者が教えてくれた恐ろしさ、悲惨さは映像の比ではなかった。

 体験者を失ったとき、一体どうなるのだろう。

 

f:id:sosososora:20150825115804j:plain

マンションの花壇にポツンと咲いた花。

なんという花かしら。

西野  そら