西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

扇風機

 夏だから暑くなくては困る。

 とはいえ、こうも暑いと、ほら、「こうも……」などと、いささか怒ったような言いかたをついついしてしまうのは、熱中症で亡くなる人がでるほどの酷い暑さだから。

 暑いうえに冷房の室外機から排出される熱風を浴びたときなんぞは、その快適さを享受しているにもかかわらず、この先どれだけ暑くなるのだろうかと恐ろしくなる。 

 二酸化炭素排出が地球温暖化にどの程度関係しているのか真実はさだかではないとしても、全く関係がないわけでもなさそうだ。

 それだからということではないが、わたしひとりの昼間は扇風機で過ごすのが常である。冷房の涼しさは一時なら生き返るようなありがたみはあるが、付けっ放しにすると身体が芯から冷えて後々、身体のあちこちが悲鳴をあげる。

 それがここ数日、夕方4時ごろからは冷房を入れている。汗でベタつく身体に暑さがまとわりついて、西日がまだ強い夕方、どうしても音を上げてしまうのだ。

 

 とはいってもこの暑さ、もちろん悪いことばかりでない。

 日差しの強さと日によっては強風のおかげで、洗濯物の乾きが早いこと早いこと。

 リネン、綿のシーツは干したそばから水分が蒸発しているのだろうと思うほど、たちまち乾く。じつに爽快。強い日差しが洗濯心に火を付ける。

 ある日。

 シーツを物干竿に干したあと、洗濯ハンガーに干すタオルを洗い、次に小物類。もう干す場所がないと部屋に入るや、レースのカーテンがヒラヒラと誘う。

 1年ぶりにさっぱりキレイになったレースのカーテンをカーテンレールに吊るす。

 洗濯心の火は付いたままの翌日、いつもの洗濯を終えてから、厚手のカーテンを洗う。ほかに洗うものを探しながら、ハッとした。

「自分でつくれない水をジャージャーつかい、自分でキレイにできない汚水を流すのも、ねぇ……」  

 いつだったか聞いた言葉を思い出したのだ。

 空気を汚すことには敏感になるというのに、水を汚すことに思いが至らなかった。

 暮らしているだけで自然の領域をおかしているのだから、ね。自然への畏怖の念を忘れてはいけない。忘れたり、忘れた振りをしたところで、自然は容赦なくその威力をみせつけてくるのだけれど。

 

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よく働く居間の扇風機です。

あとは、長女と次女の部屋に1台づつ。

西野  そら