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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

50 にして惑うことばかり

 7月19日

 関東地方、梅雨明け。途端に暑くなる。

 7月20日

 朝8時半、ゴミをだしに外へ出る。真上からかと思うほどの強い日差しに反射的に下を向く。

「たるみは紫外線が原因」

 少し前にテレビで美容皮膚科の女医がこう言っていたのを思いだす。ゴミ置き場まで走る。走ってもどる。ほとんど意味のない動きだろうけれど、そうせずにはいられないのは女心というものか。

 家にもどり、ランニングシャツのうえに着ていたTシャツを脱ぐ。つぎに膝丈のショートパンツからさらに短いショートパンツへ履き替えるところで、ふと思いとどまる。

 いくら暑いとはいえ(日中は扇風機で過ごす)ちと、露出し過ぎか。

 いつ宅配便が届くかもわからない。そんな突然の訪問者に露出過多の姿で応対するわけにはいかない。上がTシャツだとしてもせめて膝丈は必要かしら。

 

 40代の終わりごろから、何かにつけ年相応という言葉がアタマによぎる。

 たとえば言葉遣い。所作。

 こういうものはごまかしがきかないから、わたしはいつまでたっても恥をさらして冷や汗をかいている。

 割り当てられる教科書もないのだから自分で手本をみつけるのもひとつの手と、言葉選びや所作に戸惑うたびに、手本となる人をみつけて真似てきた。人だけでなく映画や本から教えてもらう。学びは真似からともいうし。

これからも冷や汗をかきながら、覚えてゆくのだろうな。

 たとえば服装。

 で、部屋着の話にもどる。

 母は夏になるとゆったりとしたワンピース、昔でいうところの「アッパッパ」の人になる。締め付けられない涼しさがよさそうで、いつだったか、ハワイ土産のムームーを代用してみた。

 たしかに涼しいけれど、家族からは「おばさんみたい」と不評。

 50歳過ぎれば十分におばさんであろうが、おばさんという言葉には抵抗したくなる。だからと言って若いひとの真似もできない。

 着たい服。似合う服。年相応の服。

 40にして惑わずどころか、50にしていま尚、惑うことばかりである。

 

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少し前に飾っていたバラです。

西野 そら