西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

キライキライもスキのうち 

 

 「このひと、キライ」

 わたしはときどき躊躇なく、悪びれもせずキライを宣言する。「このひと」はテレビの中のひとで、タレントのこともあれば俳優、政治家、はたまた文化人のこともある。最近ではゆるキャラというのもいる。つまり著名人だ。一方的すぎるが、有名税だと思って許してもらいたい。

 そんなわけで宣言をするときにはテレビが点いている。そのうえ家族のだれかがいるときに限られる。「なんで」「どこが」と、なにかしらキライの理由を訊いてくれるからだ。

ドヤ顔をして話すところ。なんとなく媚びてるかんじ。居丈高なもの言い。服のセンス。

テレビを通して受ける印象を気兼ねなく言い放つ。

 むろん会ったことなどないのだから、本当のところは知らない。しかし、対面していないからこそ無責任に見たままの印象でキライと言える。

 出会ってしまったら、こうも簡単に「キライ」と口にだせないだろう。たとえ合わなそうだと直感しても、まずは「苦手そう」「好きじゃないかも」程度で好き嫌いの針は止(とど)まる。そしてどんな人なのかと観察をはじめる。

 以後距離が縮まっても、そうでなくても時を重ねてゆくうちに一つや二つ、なにかしら共感しあえるものがみつかり、好き嫌いの針は徐々に好き側に振れる。よしんば、針の位置に変化が見られなくても、それはそれで構わない。変わらないということは、苦手と感じたところも含めて受け入れたのだ。

 一時的に針が嫌い側に振り切ることはある。でも、振り切ったままではない。なぜかしら針は中心へと少しずつ戻る、みたいだ。きっと好き側に振り切ったままであることもないのだろう。

 であるから、これまでに出会ったなかで苦手だったり、反りが合わなかったりというひとのことも、キライと宣言したくない。

 そういえば。キライなアイドル歌手がいて、キライを確認したいがために、そのアイドル歌手がテレビに映ると注目してしまうという友人がいた。そして見るたびにやっぱりキライと確認するらしい。怖いもの見たさの心理に似ている。その話を聞いた数年後、まだくだんのアイドル歌手がキライかと尋ねると、なんとスキになったというではないか。

 キライキライもスキのうち。

 

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白く見えるカーネション。

よく見ると紫がかっています。

茎の長い花も新種のカーネーションなんですって。

sora