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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

生徒になる

 キンコーンカンコーン。

 始まりのチャイムとともに、雑然としていた教室が整然としてゆく。

 それぞれが決まった席につくや、白髪混じりの長髪にたくわえた髭も白っぽい、長身の教師が言う。

「はい、ワークノート開いてね。前回の復習からはじめるよ。10分で埋めてね。ウーン、アジアは広いんだよな。君たちさ、前回やったこと頭にはいってるよなぁ」。

 それが合図だったのか、ワークノートに書込んでゆく丸い背中。まっすぐな背中。白い背中。紺の背中。

 学校公開最終日。中学3年生の教室である。

 先生は黒板の前を行ったり来たりしながら、穴うめ問題の手掛かりを滔々と解説する。アジアの気象。農業。民族。戦争。解説は地理から歴史へとつづいた。

 「地理」では降水量と農産物の繋がりを話す。

「米は雨の降る地域でしか作られないけれど、降水量が多くなくても育つ小麦は、どこでも作られているんだよ。アジアの南ではモンスーンがあるから米、北部は降水量が多くないから小麦を作る。だから中国では小麦をつかった食べものが多いでしょう」

 そうだった、そうだった。

 先生の解説を聞き逃すまいと、もはやわたしは生徒の一人である。

 「歴史」では、いまなお、中国、韓国、日本それぞれの国に見解の相違がある戦争中におきた事ごとについて。

「各国の文献には、内容が異なる部分もあるんだよ。ひとつ言えるのは、当時の悪しきことに対する見解は、現在のそれとは異なるということ。当時のことは当時の分別で起きたことなんだな。そのことは押さえておく必要がある」

 と先生。

 そうか。それぞれの立場でみる事実の重なりが歴史だとすると、先生はこのことを重要な事実のひとつと考えているのだろうと思えた。

 

 キンコーンカンコーン。

 あっという間に社会の時間が終わった。

 教室はまた雑然となり、わたしは母へ戻る。

 

 

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左の本はわたし、右の本は夫が

偶然にも同じ日に買った、脳に関する本です。

sora