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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

わきまえる

 車運転歴一ヶ月あまり。

 運転が未熟なわたしの拠りどころは、初心者マークとカーナビである。どこへ行くにもまずは、車体の前後に初心者マークをペタリとつける。それから、カーナビに目的地を入力。この手順を踏んでようやく、出発となる。

 その日。

 いつもどおりカーナビが所要時間を告げる。

「ほら、10分だって。大丈夫だよ。大きな道しか通らないから」

前日に同じ行き先まで運転をした長女(運転歴はわたしと同じ)が、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で言う。

 出発してから順調に広い道路を走っていると、突然の音声ガイド。「右折せよ」。

「あれぇ、昨日の行き方と違う」

と、長女が慌てる。その声にたじろぎもしたが、目的地への確かな情報を持っているのはカーナビだけなのだ。近道をみつけたにちがいない。素直に右折する。

 しかしわたしが初心者であることなどおかまいなしに、カーナビは細い道へと誘うのであった。

 

 そこは車がすれ違うのがやっとという路地である。そして前方には、トラックが立ち塞いでいる。

「ほらほら、バックして」と言わんばかりに、強い視線がトラックの運転席から注がれる。

 わたしはアタフタするも、下手な者は動くべからずという教えを思いだし、ブレーキを踏んだままトラックの運転席をオドオド見上げる。

 初心者マークは見えているはず。それなのに動く気配はない。

 そうか、わたしの後ろに控える少しばかり膨らんだ道幅のところまで、わたしが下がるしかないのね。

 さらにオドオドしつつギアをRに合わせ、ブレーキにおいた足の力を緩める。下がったり進んだりを繰り返し、コツンと微かな衝撃を感じたそのとき、頭を抱えたのはわたしではなくトラックのドライバーであった。彼は頭を抱えたあと、礼のクラクションを鳴らし無事に横をすり抜けていった。

 立て看板にリアバンパを当てるという失敗はしたが、とりあえずコトは凌いだ。凌いだというより自滅したのかもしれない。

 呆然としたまま辿りついた先でつくづく思う。 

 いくつになっても慌てたり、不安と向き合ったりするのだろうが、せめて平然を装うことはわきまえよう。平然としていることは周りを不安にさせない大人としての心得にちがいあるまい。

    

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春はすぐそこまできてるというのに、  

一緒に布団にはいってもらいます。

sora