西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

 トマトソースを仕込んでいる。大学生の長女がとなりにやってきた。

「食べ物に対する価値観が、かなり違うンだよね」

 どうやら、食事にはできるだけお金をかけず、その分衣服や趣味に注ぎ込みたいというボーイフレンドの持論を聞き、そうとうな違いを感じたらしい。ことに昼食は食品添加物が少なくはなさそうな、安い調理パンで済ませることが多いことを知った長女は、思わず言ってしまったというのだ。

「食べるものでカラダがつくられるし、思考も変わるンだよ。そんなのばっかり食べてるとバカになるって、ママが言ってた」と。

 はい、そっくりそのままを娘に吠えていましたとも。

 添加物を多く摂取することで思考に弊害が起こると、ものの本で読んだのは、長女が幼稚園に通っているころだ。真実のほどはともかくとしても、そのとき、なるほどねえと得心した。以来、家で口にするものは、せっせと拵える(こしらえる)。ときには「栄養のバランス、バランス」と呟いたりして。

 しかし中学、高校生時代の長女は、箸を運ぶのは肉、肉、肉。おやつといえば決まってキャラメルポップコーン。栄養?バランス?なに、それ。       

 そしてわたしは吠えもしたが、馬耳東風、暖簾に腕押し、聞く耳持たず、といった様子だった。こうしたことばの意味を身をもって教えるが如く、好みでないおかずには手をつけない。

 というわけで、まさか、まさか長女がそんなことを言おうとは……。思いもよらなかった。

 親の言うことは聞く耳を持って聞くのではなしに刷り込まれるのか……それとも親に認められたい子としての特質で聞く耳をもたずとも親の言葉を受け止めるのかもしれない。反面教師で学ぶこともある。

 思い返せば、わたしもそうだった。母の教えはあまたある。が、その教え一つ一つを心して聞いてはいなかった。反発もした。それでも、ある日突然、母のことばは蘇る。そうして気づく。あのとき、口うるさく言ってたのはこのことかと。

 これから、ふたりの娘放つことばが、ちょっと楽しみになってきた。二人の耳にはなにが留まり、なにが留まらないのか。

 そんなこと言ってたかしらと、わたしのへんてこなこだわりに気づかされることもあるのにちがいない。

 

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共に嫁いできたお雛様です。

 

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こちらはが両親が娘に贈ってくれたお雛様

 sora