西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

棒切れ 

 焼肉屋のまえに差しかかったときだ。肉の焼けるにおいに刺激され胃がギュッと縮んだ。 

 

 ここ数年、週末だけ夫とともに走っている。そのときどきで走る時間は変わるが、たいていは朝走る。

 この日は目覚めたときから走るのが億劫で、走らずにすむ言い訳をあれこれさがしていた。

 走ればスッキリすることはわかっている。わかっちゃいるけど、走るまえに「ああ、走るの面倒くさい、走りたくない」面倒くさがりの自分とたたかう日がある。この日がその日だった。走ろうじゃないの。こう思うまでにそうとう時間がかったあげく、大切なエネルギー補給をするのさえ面倒で、水を飲んだだけで走りだしてしまったのだ。

 

 ああ、チョコレートでもつまむンだった。走り出して間もなく、なにも食べてこなかったことを後悔していた。後悔はしていたけれど、大丈夫、みずからに言い聞かせて走っていたところに、突然の焼肉のにおいを浴びたのだ。タレにまみれた肉が焼けるあのにおいに胃が反応しないわけはなかった。胃は胃酸を大量に放出し、わたしの体力は急激に消耗してゆく。

 肉の焼けるにおいがなくなるころ、「お腹すいた」そう言ったきり無言で走るわたしに、並走する夫は気を紛らわせようと話しかけてくれる。されど、わたしには返事ををする余裕なんぞないほど、体力も気力も失せてゆくのであった。

 焼肉屋の地点で6キロを走った。家まであと4キロ。

 「早く何か食べたい」その一念だけで家にたどり着いたときには、わたしはフルマラソンを走りきったかのごとく棒切れのようになっていた。そして、ようやく食べものにありつけたものの、食べても飲んでも休んでも、気力も体力も回復せず、棒切れのまま無口にその日1日を過ごす羽目になった。

 あぁ、疲れ果てれると話もしたくないンだわ、とぼんやり思う。

 以来、口癖といってもいいほど、ぽつりと放つ「ツカレタ」を口にするたびに口元がムズムズするようになった。わたしにとってこの「ツカレタ」は句読点と同じ意味で動作の区切りに発してしまうらしく、決して疲れているから放つことばではないのだ。疲れていないくせに「ツカレタ」と放つ自分に「疲れてない、疲れてない」とツッコムような心持ちになり、ムズムズなるのだと思われる。

 が、ムズムズがいちいち気になる。

 

 そうだ、ものは考えよう。

 疲れ果てたときには無口になる。それならば「ツカレタ、ツカレタ」とつぶやくうちは元気の証。こう考えるとするなら、「ツカレタ」も悪くないじゃないの 

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 次女(中学生)が心揺さぶられている味噌汁’s

先日、コンビニエンスストアーでインスタント味噌汁を購入して、手に入れたミュージックコネクティングカード。このカードを使って味噌汁’sの歌をダウンロードできるそうです。

便利だけど、わたしにはさっぱり理解できないシステムです。 わかる人にはとても魅力的なカードなのでしょうね。

sora