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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

オプチミスト

 買い物からの帰り。 

 マンションの集合ポストの前でお巡りさんと鉢合わせする。日頃マンション内では見かけぬその姿。なになに?少しばかりの好奇心と少しばかりの不安と少しばかりの驚きで半歩後退る。

「こんにちは、何号室にお住まいですか」

 分厚い台帳を広げながら、唐突ではあるけれどにこやかにお巡りさんらしき人が言った。

 らしき人はもちろんお巡りさんの制服でお巡りさんの帽子を被っている。見かけはお巡りさん以外の何者でもない。しかし、あまりにも唐突すぎる声かけに、よろしくない想像が頭をもたげた。

 本物?   

 でもしかし、マンションの前にはお巡りさんの白い自転車が止まっていたのだった。サドルの後ろにある白い箱には、最寄りの交番名が書かれたシールも貼ってあった。

 きっと本物。

 はたしてお巡りさんが台帳から探しだしたカードには、うちの家族構成がわたしの字で記してある。

 ああ、本物。

 胸の内で疑ったことを詫びる。(ゴメンナサイ)

 

 いくら物騒な世になったとはいえ、どうみてもお巡りさんに見えるひとに疑いの目を向けるとはね。我ながら呆れる。

 読み終えたばかりの『考えすぎ人間へ ラクに行動できないあなたのために』遠藤周作青春出版社)の一節が浮かんだ。

 遠藤周作は自らのことをオプチミスト(楽天家)の要素があり、世の中に対してさほど警戒心を抱かないと言っている。たとえ悪人に会ったとしても、その人のヘンなところを肯定して笑いに変えるのだとか。そして若者の多くはオプチミストというより、自分のことだけに関心があるように見え、好奇心がなくなっている。とも言うのだ。

 1990年に刊行されているから、27年前に遠藤周作はこう書いている。

 ほぉ。27年前の若者。わたしは20代の中頃だったからその若者のひとりであろう。

 若いときは独り善がりなところがあるものだけれど、しかしどうしたことか、当時より今の方がうんと自分のことに気持ちが向いているように思えてならない。

「自分さえよければいい」というのは好きでない。

 とはいっても、騙されないように。恐ろしい目に合わないように。見知らぬ人への警戒心は膨らむ一方である。その結果、気持ちが内に内に向くのかもしれない。

 遠藤周作のように警戒心を抱かないとまではならないにしても、さすがにお巡りさんを疑うほど膨らみすぎた警戒心をどうにかしなければなるまい。

 そういえば、警戒心を取り去る糸口はユーモア。人と人の潤滑油になるのもユーモア。まずは相手に笑いかけること、とも書いてあったっけ。

 普段から笑っているほうではあるけれど、見知らぬ人へも笑いかけてみようか。こちらが怪しいおばさんになりかねないような気もするけれど。

 

 

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しまうときは筒状になる雛飾りです。

飾るときにパカッと開き、

閉じないように筒に付いている紐を

後ろで結びます。

西野  そら

  

広げたり、狭くなったり。

 「『この世界の片隅に』観ましたか。私は3回観ました」

 と、友人からメールが届く。1月の終わりのことだ。

 映画には疎いけれど、これは知っていた。戦時中を描いたこのアニーメーション映画は、昨年末から幾度もテレビや雑誌で紹介されていたから。

 メールには映画以外のことも書いてあったが、要点は映画について語り合いたから、是非とも観るようにということであった。

 

 昨年までのわたしなら、友人からの薦めであってもタイミングが合えば観ます、とかなんとか言ってお茶を濁したのにちがいない。

 ところが。今年のわたしはちがう。

 1月の初めに「広げる」を今年の目当てとしようと、ふと、思い立った。この「広げる」というのは、食わず嫌いをしない。決め込まない。知ろうする。というようなことである。

 流行や風潮、人気といったものにはらむ一時(いっとき)の勢いを感じるようなとき、瞬間的に身構え、胸のあたりがくっと固くなる。この固さは勢いに流されないための、もっといえば、考えなしに物ごとに同調しないための備えであろうか。それだから、流行や人気のあるような物ごとを、できるだけ遠巻きに見てきたのだ。

 それだというのに昨年末あたりから、遠巻きに見るというのは、知ろうとしない自分をごまかすための、体のよい言い訳ではなかったか。こんなふうに思えてきたのだった。

 そんなわけで今年は、つとめて「広げる」。

 

 友人からのメールが届いてから、ちょうど一週間後。わたしは映画館の観客となり、思いがけず、心打たれていた。

 帰宅後、友人に書いた返事はこんな具合。

 「アニメーションだというに、これまで見た戦争の映像のどれよりも戦争の恐ろしさを感じている自分に驚きました。それだけでなく、非日常の恐怖のなかに身をおいても、暮らしてゆくこと。日常はつづくことに胸を突かれたのです。

 それは地震や外国で起きたテロの後、難を逃れた人たち、傷ついたひとたち、その周りの人たちが、生きるために暮らしに戻る努力をしていることと繋がり「日々の暮らし」の強みに感じ入りました」

 

 「広げる」ということは心を柔らかくするもいえる。柔らかな心はきっと風通しがよかろう。ああ、柔らかな心でいたい。ときに固く狭くなろうとも、それはそれでよしとして。

 

 

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外出時、わたしの本は着飾ります。

サイズに合わない本には

書店でかけてくれるカバーが活躍します。

西野 そら

 

ヘソのシミ

 うちのヘソはダイニングテーブルだ。

 マンションの専有部分、つまりわたしの家は形でいうと長方形。

 長方形の長辺をだいたい3等分した、まんなか部分に食堂兼用の台所があって、そこの中心あたりにダイニングテーブルを置いている。だから、わたしの家のヘソはダイニングテーブルなのだ。

 18年まえうちに仲間入りしたこのテーブルは幅165センチ、奥行き90センチ、高さ72センチ。無垢材(木の種類は忘れました)を継いだ天板には、熱い鍋を直接置いてしまったのだろうと思われる、半円にも満たないこげ茶の弧が3つばかり焼き付いている。 

 それにしても、3回も同じような失敗をするとはねぇ。と、ここまで書いて思い出した。

 3つのうちひとつは、直に鍋を置いたからできたのではなく、藁鍋敷のせいだった。

 以前、藁鍋敷に熱い陶版を置いたら、陶版が熱すぎて藁が焼けた。それで陶版の痕がついたのだ。

 実はこのこげ茶の弧が思いのほか目立つ。オイルで拭いたり紙ヤスリで軽く研いでみたりもしたが、一向に消えてくれない。

 でもしかし。天板のシミはこれだけでない。コップの輪染みと思われる弧のシミが、サイズ違いで3つある。夫の席に1つ、わたしの席に2つ。これは明らかに水の痕。

 水の痕だから一見すると、濡れているように見える。シミがそこにあることは百も承知しているというのに、ついつい拭いてしまう、不要に瑞瑞しいシミ3つ。

 そうだ、数日前、四角いシミができているのを見つけた。オリーブオイルの瓶底の形。

 そんなわけで、うちのヘソにはゴマでなくて、弧や四角いシミがあって、家の者が何かと居座る処である。

 たとえば、わたしがノートパソコンを広げて作業する横で、教科書やノートを広げる者がいたり。ミシンをかける横でスマートフォンと睨めっこする者がいたり。夜、突然仕事のメールを打ちはじめる夫のまえで、焼酎を呑む者(わたしですが)がいたり。

 これまでの粗相の跡を目の端で捉えつつ、ふと、思う。ここがうちのへそなんだ。

 うちのヘソは、ダイニングテーブル(シミつき)。

 

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雨が降り出しそうなある日。

空と梅とわたしの傘。

西野 そら

手袋

 図書館に向かって歩いている。

 ああ、寒い。数歩前をゆく夫は、冷たい空気を逃すように首が引っ込み、背中が丸い。とうちゃん、猫背ですぜい。

 むむっ。どうして両手をダウンジャケットのポケットにつっこんでいるんだろう?

 窓の向こうの灰色に垂れ込めた厚い空がなんとも寒そうで、出掛けに、夫に手袋を渡したのだった。

「あれ、手袋は?」

 わたしの声に振り返る夫は、同時にポケットから手を、なんと黒い革の手を出した。

「あっ、してた」

 ポツリと夫。たまにこのひとのことが、わからなくなる。

 ポケットに手をいれるのはさ、防寒のためじゃないの?夫の横に並んで訊いたところ、

「癖だね、これは」

 ですって。結婚をして25年以上になるが、このわからなさ加減が夫婦の、もっといえば他人様との関わりの面白みなのかもしれない。

 

 ところで。わたしが手袋を手放せなくなったのは40代になってからだ。

 子どものころは手袋が苦手だった。以前に書いた腕時計をできない理由と同じ。手袋をすると手がジンジンしてくるのだ。

 とはいっても、中学生ぐらいまでは、5本指の手袋をしている友達をみると5本指の手袋が欲しくなったし、ボンボンのついた可愛い手袋をみればそれが欲しい。中学生のときには編み物をしたい理由で手袋を編んだりもしたっけ。

 それなりに手袋をもってはいたのだ。ただそれらが防寒のための手袋ではなかったということ。

 

「みっともないからポケットに手を入れないの」

 大人になってからも母に注意されることはあったが、当時のわたしはみっともないことより手の不快さを避けることのほうが大事であった。20代では手袋を買った記憶がない。30代で買った手袋は子どもと遊ぶため。

 そんなわけで、40代に至るまで、手袋のよさを知らずにきてしまった。突然翻ったのは、体調の変化にほかならない。冷たい風に弱くなり、できるだけ肌を晒したくなくなるのだ。

 そういえば、手袋をしたときの、あの不快さがない。40代ともなるとそんなことよりも、体を冷やすまずさを<体>が教えてくれるのかもしれないなぁ。

「ほらね、手袋っていいでしょ」

 

sosososora.hatenablog.com

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黒の手袋は夫。茶色がわたしのです。

毛糸の手袋もありますが、最近は

こればかりしています。

西野 そら

将来 しょうらい ショウライ?!

 将来のわたしはどうなっていたいか。このところ、こんなことを考えている。

 気がつけば半世紀以上を生きてきた。そんなわたしが、将来ということばをつかうのは頓珍漢かもしれない。しかし、この命が終わらなかったとして、向こう十年でわたしはなにをしたいのか、なにができるのか。

 将来の夢や仕事を考えた若かりしころと同じように、いままた、まじめに考えている。

 

 数年前のことだ。

「自分の食い扶持ぐらいは自分でまかないたい」

こう言ったのは友人のYさん。なるほど、そういう考えかたもある。  

 当時Yさんは二人の小学生の母であった。子どもたちと過ごす時間を増やしたいからと、会社を辞めてひとりで起業した。立ち上げた当初は、会社勤めをしていたときよりも多忙だったそう。全てをひとりでやるのだから、その大変さたるや想像に難くない。 

 子どもと過ごしたいがための起業であったけれど、Yさんは子どもといるために仕事をしないという選択肢はなかった。理由は前述の「自分の食い扶持……」というあれだ。

 もちろんYさんは専業主婦を否定してなどいない。ただ単にYさんはそうしたいということ。

 わたしは四半世紀近く家のことを担当してきた。家、家族のことをすることが、はたらくこととわたしは考えている。

 とはいえ、長女が4月から社会人になり、いよいよ自分の食い扶持を稼いでくる。

 子どもが仕事をする年齢になったことで、Yさんの言葉を思いだした。わたしも自分の食い扶持ぐらい、という気持ちが湧き立ち、自分の将来を考えはじめたというわけだ。しかしだからと言って、たちどころに仕事とは結びつかない。

 わたしはなにがしたいのか。なにができるのか。食扶持ということを考えれば収入を得なければならないけれど、はたらくことと収入を得ることを繋げてしまうと立ちゆかなくなりそうな気もする。

 はたらくということは役に立つという意味もある。ともかく、これまで続けてきたことを手放さず。自分自身にがっかりしないように。

 

 半世紀を生きてなお、みずからの将来がどう変化してゆくか、期待で胸が少しばかり膨らんだり、不安で気持ちが沈んだり。どうしてなかなか、忙しない。

 

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1月29日にオープンした

都立多摩図書館へ行きました。

雑誌と子供の本の図書館。

西野 そら

 

105

  ブログをはじめて、まもなく2年が経とうとしている。週にいち度の更新とはいえ、数にすると今回で105回。多いとか少ないとかでなしに、よくぞ続けたねぇと思うのだ。

 で、104つのなかのいくつかを読み返した。

 

 感じかたや考えかたが変化したものもあるし、変わっていないものもある。

 昨年のこの時期にかいた記事は変化したものの一つ。

 

sosososora.hatenablog.com

 当時のわたしは、みずからの心の持ちようと、人様の目に映るわたしとのギャップにハッとしている。

「そういえば、そうだったなぁ」

 すでに懐かしい。たった1年とはいえ、今のわたしにこうは書けない。昨年は体調の変化を実感してきた1年であり、体調の変化とともに年齢を意識せずにはいられなかったからだ。

 昨年末、小さなライブハウスで友人Oさん(20代後半)のダンスライブがあった。共にでかけた友人たちはわたしと同年代、少し先輩、だいぶ先輩といったメンバー。といっても、ほとんど現役で、それぞれの場で活躍されている方たちばかり。おしゃれにだって手を抜いてなどいない。

 舞台で踊るOさんは若々しくもあり、妖艶さも垣間見られ、とにかくキラキラしていた。そんな友人が誇らしくもあるわたしたち年配者は一様に浮かれ、若い友人を囲んで記念撮影と相成った。 

 後日、メールで送られてきた写真をみて、ギョッとした。

 写真を撮ったあの日はみんな浮かれていたせいか、Oさん以上に周りのわたしたちが笑顔である。だというのに、キラキラ感はどこにもない。軽く笑むOさんをわたしたち年配者の笑顔がさらに引き立てている。

1年の月日は、わたしをハッとさせず、ギョッとさせるのだった。

 

 2015年5月の記事。この記事はさほど変わらない考えのひとつである。

sosososora.hatenablog.com

                                             

 程度の差こそあれ、年を重ねたとて「他人」との関わりによる気持ちの浮き沈みはある。他者と共に暮らしてゆくのだから、そこからは逃れられない。

 上の記事に書いたように、わたしはこれまで好き嫌いの両極の、どちらかに触れたままのひとはいない。どんなに憧れたひとであっても、顔を合わせる回数に比例して、アレっと感じることの1つや2つはあって、針は中央へと動いてゆく。その逆もまた、然りである。

 勝手に好きに針を振っておいてがっかりしたり、勝手に嫌いに針を振っておいて見直したりするのも失礼なはなしではある。でもきっと、そういう発見を繰り返すなかで、好き嫌いの感情が薄れ、好き嫌いの前置きなしに、他者は存在してゆくのじゃなからろうか。

 

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いつかの空 

西野 そら

それぞれの、マナー。

 わたしは、37度。平熱のことではない。足の親指の傾度の話。

 一昨年の春、近所の整形外科医から紹介されて赴いた総合病院の整形外科。そこで撮ったレントゲン写真から、親指が人差し指側に37度倒れていることがはじき出された。この数値は中度の外反母趾にあたるらしい。

 もちろん外反母趾であることは自覚している。若いころからヒールのある靴、先の細い靴は避けてきた。避けてきたというより、そんな靴は履けやしなかった。無理に足を入れても、たちまち出っ張った親指の骨が痛くなる。それだから、靴選びには気をつかってきた。が、どうしてか年々、その出っ張りは特徴的になってゆくのだった。

 中度の外反母趾では出っ張った骨を削るという手術をするほどではなく、これといった治療はない。できることといえば、現状維持が目当ての、足底のアーチを補助するインソールをつかうことらしい。で、病院が提携する義肢装具やでインソールをつくる。

 インソールを靴に敷いたからといって痛みがなくなることはなかったが、いつしか痛みは和らいでいった。痛みに慣れたというのもあるかもしれない。

 しかし、インソールをつかい1年半がたった昨年の10月が終わるころ、また足が痛みだした。この度の痛みは外反母趾の痛みとは違う。痛みを取り除いて欲しかった。触診もせずにインソールを提案されるのは勘弁願いたい。インターネットで近隣のまちの整体を調べた。

 数週間後。とあるスポーツ整体を見つけた。そして出会ったのが、担当のOさん(男性。30代前半だそうです)。

「おそらく、外反母趾の影響でしょうね」

 外反母趾が治るというのではないが、使うべき筋肉を正しく使うべく、骨の位置なんぞを整えたり、筋肉をほぐしたりしていくと、Oさん。

 これまで腰痛や肩こりで整体を受けたことはあるが、足の施術は初めてだった。本当のところ、37度に傾いた素足の親指をさらすのも、抵抗がないわけではない(名誉のためにいうが、男女を問わず)。それなのに、Oさんは嫌な顔をせず、ためらいもせずに傾いた親指を動かし、出っ張った骨を静かに押さえたり、押し入れたりする。それが整体師のマナーとは言えだ。

 わたしとて、恥ずかしさと申し訳なさが綯い交ぜになった心持ちで、施術台に仰向けになっている。が、しかし。そんな心持ちなど露ほどださず、堂々と寝そべっている。

 それが患者としてのマナーであろう。

 

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長谷園の蒸し鍋です。

土鍋としても使えます。蒸した野菜と肉を

蒸したカマンベールに絡めて食べます。

おいしいのに、写真がおいしそうでないのが残念!

西野 そら