西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

浄化

 前回ここに、黄金色に色づいた銀杏をみて肯定的な心持ちになれた瞬間のことを書いた。なぜ肯定できたのか……。もう少し付け足すことにする。 

 ヒトの手の及ばぬ自然には、わたしの中に溜まった澱のようなものをとりのぞいてくれる作用があり、そのはたらきが効いて肯定的な思いを沸き立たせるのだろうと思う。

 わたしたち、意識はしていないけれど自分を信じて生きていますよね。だって、ひとかけらでも自分を信じるところがなければ生きてはいけないはずだもの。つまり自分を信じていけるように、日々を一所懸命に生きているのだとも思うのです。

 それでも、突如として自分を信じる気持ちを揺らがせるようなことは起こる。

 そのうえ。起因となるのは、いつもならどうということのない程度の些細なことの場合も少なくはない。たとえば、だれかのなにげないひと言で。自らがやらかした小さなミスで。もっと違うやり方があったかもしれないと、省みる瞬間、などなど。

 自信がなくなることでなによりまずいのは、自信回復のために、自分が信じてきた思考や正義を胸のうちでこねくり回わすことじゃないかという気がしている。こねくり回しているうちにどんどん気持ちが内側にむかうという事態に陥るから。

 でもこんなときなのだ。

 ふと、大空を見上げ、その空が真っ青に澄んでいたらなおさらに、散々こねくりまわした思考やら正義やらがどれほど小さいか気づく。そして、わたしはわたしと思える。

 で、このたびは黄金色に色づいた銀杏並木が、胸の内の澱を浄化してくれたというわけなのでした。

 

f:id:sosososora:20181212032821j:plain

 いつかベランダから見た空。

西野 そら

銀杏並木

 「最近は春の桜より秋の紅葉が好きになってきてるなあ」

 と、トモコさん。

 近所に住むトモコさんとは20年来の付き合いである。互いに立ち入らないほどほどに近しいこの距離感は、出会った当初から変わらない。

 一ヶ月あまりで今年も終わるというのに、つい先日今年初めてトモコさんに会い、黄金色に色づいた銀杏並木をわたしたちは並んで歩いたのだ。

 

 互いに相談とか打ち明け話の類をもちかけたことはこれまで一度もない。あっ、わたしはたまに泣き言を漏らしはしたけれど、そんなことはサラサラと聞き流してくれる関係であったのだなあ。

 会えば、ただその時々の様子を話すだけ。意見も思いも返しはしない。差し障りのないおしゃべりをしてきただけのように思えたけれど、20年あまりの年月の移ろいは互いの家族のありかたの変化や自分自身たちの変化をも、ともに感じてきたのにちがいない。

 

 「最近は春の桜より秋の紅葉が好きになってきてる」

 トモコさんの言葉に、わたしはあらためて銀杏に目をやる。

 ああ、ほんとうだ。黄金色に色づく銀杏がこれほど胸を揺さぶることがあっただろうか。

 そしてどうしてか、わたしはわたしで大丈夫、と思えた。自分を信じることができる瞬間であった。

 

 

f:id:sosososora:20181129002707j:plain

ブルースター、好きな花のひとつです。

西野 そら

 

卓球

 妹の家に行った。

 目当ては小学5年の甥っ子と3年の姪っ子。うちに小さい人がいなくなったから、このふたりから漂う力(ちから)とか穏やかな空気に、ときおり包まれたくなる。

 2ヶ月ぶりに見る甥っ子は、どことなくではあるがいままでと雰囲気がちがった。無口でもある。二言三言(ふたことみこと)話をして、すぐに妹のスマートフォンで気に入りのユーチューブを見はじめた。声がわりがはじまったのか、聞き慣れた声よりもいくぶん低い。

 少し前までうんちネタやお尻ネタを持ち出してはゲラゲラ笑っていたのに……。会うたびに少しずつ成長してゆく姿は逞しく。されど、なんだかつまらない(成長する子どもをつまらないなんて言うと、妹に怒られそうだけど)。

 姪っ子のキミちゃんは相変わらずおしゃまさん。会うなり軽快にジャンプして抱きついてくる。キミちゃんを抱きかかえながらわたしはクルクルとまわる。クルクルまわるとキミちゃんはニコニコになる。

「卓球やろうよ」

100円ショップで揃えたという卓上用ネットをキミちゃんがセットするや、食卓はたちまち卓球台の顔になった。100円には見えぬラケットを手渡され、妹と静かだった甥っ子も一緒に、総当たり戦をはじめる。

 小さな人たちとの暮らし。娘たちが小さかったころは家がこんなふうに、はなやいでいたなあ。ああ懐かしい。

 

 子どもは生きた年数分だけの知で生きている。大人のすること友だちのすることをじっと観察しながら元来備わった性分や身につけた知で、ズルをしたり、じっと耐えたり、笑ったり、泣いたり、優しかったり、嘘をついたりする。良すぎたり、悪すぎたりしない過不足のない感じが、わたしを和ませるのだろうか。そうだ、知りたい欲が旺盛なところにも、感心させられるなあ。

 もちろん、あんまりにも訳がわからないことを言って、頭に来ることだってたくさんあるけれど。

 

 今度はいつ会いにゆこうかな、あのふたりに。

 

f:id:sosososora:20181114170905j:plain

栞をつくろうと思い立ち

押し花にしました。

花びらが折れてしまい、失敗。

西野 そら

時間のつかいかた

 カーテン日和。そんな言葉はないが、カーテンを洗うのにうってつけの空だった。

 よしっ、娘たちの部屋のカーテンを洗おう。

 長女の部屋のレースカーテンと遮光カテーンをはずす。まずはレースカーテンを洗濯機にいれるが、洗濯槽にはゆとりがある。カーテン一枚だけじゃもったいない。ついでに、居間のレースカテーンも洗うとしよう。両開きのカーテンの一枚をはずして追加投入。

 第2弾は次女の部屋のレースカーテンと居間のもう一枚。第3弾、4弾は遮光カーテンを一枚ずつ、洗濯機に洗ってもらうことにする。

 

 この日の「ついでに」のはじまりは居間のカーテンであった。この「ついで」に拍車がかかると本格的になるから、厄介。

  

 カーテンがはずされ、すっかり現れたサッシ。ついでに先延ばしにしてきたサッシの溝の掃除もやってしまおう。雑巾とクリーナーをもって長女の部屋へゆく。

 長女の部屋がおわり次女の部屋のサッシの溝に取り掛かったところで、網戸の汚れが目にはいる。ここでまた「ついで」が顔をだすのだ。網戸を外し、浴室で洗い、取り付けたところで、ついでにあの子(長女)の部屋の網戸も洗いましょうか。

 と、さらなる「ついで」が顔をだしたそのとき。職場のタイムテーブルが思い浮かんだ。で、長女の分の網戸は次回に持ち越しとした。 

 

 職場では1時間ごとに担当する仕事が変わる。貼り出されたタイムテーブルで仕事内容を確認できる。これがなかなかヨロシイ。途中でもキリのいいところまで終えて、一旦おしまいにできる。

 家にいると「ついで」が広がってくたびれたり、「もう少し」が連なって相当な時間ソファーに貼り付いている自分を後ろめく思ったり。

 表にせずとも、家でも時間を切ってみようか。

 徒らにくたびれたり、後ろめたくならないためにも、いいかもしれない。

 たとえば掃除、洗濯は2時間。読書2時間。パソコンに向かう時間3時間というふうに。えーと、午睡に2時間は、見積もりすぎだろうか……。

 

f:id:sosososora:20181101150315j:plain

宮島に旅行した長女が、

「ブログ用にどうぞ」

と送ってくれました。

 

この場にきてくださるみなさま

お読みいただき、ありがとうございます。

週に1度の更新がままならなくなっています。

しばらく投稿する曜日や頻度にこだわらずに

やってゆこうと思っております。

西野 そら

や、野望。

 5年後の野望を問われる。夢でなしに野望。

 昨年、四半世紀ぶりに外での仕事を得た。一年限りの期間限定であった。が、ことしから職場が民間企業に委託され、思いがけず、委託された会社の契約社員とあいなった。

 野望を問われたのは、先日の新人研修でのことだ。

 

 野望?野望ねえ。野望って……。

 わたしはあまり先のことに気持ちが向かわないタチである。目の前のことにそっくり気持ちが向いてしまう。

 同じようでいて決して同じでない一日、同じではないけれど似たような一日を、夢や目標をもたずに暮らしてきた。こんなふうであってもだ。突如として岐路はあらわれて選んだ道に、此のたびのように想定外の出来事に、翻弄される。

 思いがけず、わたしはことしも仕事をしている。昨年より仕事量がふえて、気も張る。家のことをしていても、ふと、仕事の手順を思い返したり、ノートに覚え書きをしたりする。

 こんなに仕事をするはずじゃなかった。と思いもするけれど昨年は見えていなかったことが、ことしは見える面白さも、じつはある。

 

 ああ、野望を抱いたならどんなことになるのやら……。

 54歳の新人、野望抱けず。

 

f:id:sosososora:20181024231410j:plain

2018・10・24 の空

空を見て、気持ちが慰む。

西野 そら

いいこと聞いちゃった

 自転車のタイヤがパンクした。近所の出張専門の自転車修理屋さんにきてもらう。

 修理屋さんはミニバンでやってきた。跳ね上げた後部ドアが屋根に代わり、修理屋が開店。

 まずは荷室スペースに積まれたポリタンクから洗面器へ水を移し入れる。ネジを緩めタイヤのチューブをシャっと外し、洗面器の中でチューブを手繰りながら穴を見つけてゆく。見つけた穴をテープで塞ぎ、タイヤにチューブをいれて自転車にはめる。で、空気をいれておしまい。所要時間10分也。

 

 修理やさんに代金を支払っているとき、隣人のご主人がとおりかかった。

 隣人のSさんは70代。定年まで総合商社に勤め海外暮らしもあったとか。身嗜みがよく、いつもこざっぱりとしたトラッドスタイル。そして、社交的。会えば挨拶だけということがない。なにかしら訊かれ、訊かれたことを元にSさんは話しはじめる。

 この日もそうだった。マンションのエレーベタを待っているSさんに追いついたところで、パンクの修理代を訊かれた。800円と答えるや、そりゃ高い、と教えてくれる。

「自転車のパンクなんて自分でやっちゃうよ」

ついさっきこの目で見た手順どおりに、Sさんは修理の仕方を説明した。

「穴を塞ぐシールは10枚入りで500円ぐらいだったかな。500円で10回修理できるなら、得でしょ」

ほぉ、たしかにお得。自分でやるか否かは置いとくとしても、こういうことを教えてくれるお人がいると、うれしくてニヤついてしまう。

 なんだかいいこと聞いちゃった。

 

f:id:sosososora:20181019163607j:plain

公園の柿の木の写真を撮っていたら、

のそのそ通りかかった野良猫。

睨まれたのかしら、わたし

西野 そら

 

 

デコとボコ

 デコボコした感情が平(なら)されてゆくことを大人然とするなら……。

 五十代も半ばにさしかかろうというのに、平されないままのデコボコが形状記憶さながら形をなしてくることが、わたしにはある。

   いつまでたっても平されない(しくじりを笑い飛ばせなかったり、緊張しすぎたり)自分につくづくガッカリするのだけれど、デコボコの何が悪い、とも思う。

 わたしはきょうもコソっとデコを片手で押さえ、親指と人差し指でボコを引っ張り出す。

 

 

f:id:sosososora:20181003031125j:plain

少しまえ、夫がブログにどうかと、

撮ってきた写真です。

西野 そら