西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

とんとん

 手は忙しなく動いていた。焼き網の上の肉をひっくり返し、ワイングラスを口に運び、サラダを小皿に分ける。夫と娘たちに「この肉は焼けた」「それはまだまだ」と指示しつつ食べたり、飲んだり、勧めたりしているものだから、隣のテーブルの家族が帰ったのも気がつかなかったほどだ。

 ふと、横を見ると女性店員がテーブルを片付けている。と、そこへ3、4人の男子学生が歩みより、その中の一人が店員に話しかけた。

 彼らはわたしたちが入店したときから店の真ん中のテーブルを陣取っていた団体の仲間で、その団体は焼肉店の近くにある大学の学生と教授だろうと思われた。

 学「ごちそうさまでした」

 店員「いつから行くの?」

 学「三月からマンハッタンです」

 そうか、あの団体は送別会だったのね。この学生はよく来店していたのだろう、親子ほど年の離れた店員さんとは顔なじみだったというわけだ。わたしは忙しなく手や口を動かし、目は肉やワイングラスから離さず、耳だけがダンボになった。 

 店員「どのくらい行くの?」

 学「3年です」

 店員「3年か。帰ってくるころにはわたし生きてないかもね」

 わたし「えぇ〜」

一瞬、会話がとまり、店員、学生、家族の誰もが固まったのがわかった。あぁ、やらかした。学生と親子ほど年の離れた店員は、つまりはわたしと同世代。いくらなんでもこの3年で死にやしなかろう。そんな思いがついつい声に出てしまったのだ。そのうえ、

「あら、やだ。会話に入っちゃった」

とまで、わたしは口走った。思ったことがそのまま口を衝いて出る。このひと言を合図に時間は流れはじめ、店員と学生はなにごともなかったように話しながら、静かにその場を離れていった。

 家族だけになったわたしたちはしばらく笑い転げたが、たはたして笑い話ですませてよいものやら……。思ったことを胸の内に留めておけない。独り言が多い。これは老化現象のひとつであると、なにかの本で読んだのだ。でもしかし、笑いには老化防止の効果があるともいう。人の体は神秘に満ちている。ここは、とんとんということにしておくか。

 

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赤メガネ(上)から黒メガネ(下)に変えました。

見えすぎて不調をきたす場合があるのですね。

年齢を重ねるとともに、見えなくていいと思えるものが

ふえてゆくのでしょうかねぇ。

えーと、シミとかシワとかそういう類(それもありますが)

とは別のはなしですよ。

西野 そら

不具合の連鎖

 年が明けて早々、相次いで家のモノたちに不具合が生じた。浴室の換気暖房乾燥機と台所の電動昇降棚である。

 換気暖房乾燥機は機械の故障でなしに、カバーだ。天井に引っ掛ける箇所が3箇所欠けて(経年劣化)、今にも落ちそうだった。応急処置的にネジでカバーを止めたが(ネジを止めたのは夫)、これがうまい具合にいったものだから、新しいカバーに変えずとも差し障りがなさそうであった。が、不具合はなぜか連鎖する。

 時あけずして、台所の流しの上にある電動昇降棚(以下、棚と呼ぶ)が動かなくなった。

 この棚は2段になっている。上段は調理器具置き、下段は水切り棚。いつもは水切り棚が見える程度に棚を下げておくが、動かなくなったときには棚を上げており扉に覆われた状態であった。まな板、ボール、ザルが取れない。もちろん水切り棚としても使えない。

 メーカーに修理を依頼するも、順番まちで最短で4日後とのこと。4日も棚を使えないのは困る。と伝えるや、停電時や故障時の対処として手動での扉の開け方を教えられ4日程度なら、さして困らないことがわかった。

 しかし、不具合の連鎖はこれで終わらなかった。

 棚が動かなくなった翌日から、風呂の追い炊き運転をしたままシャワーを使うとシャワーのお湯が水になったり、食洗機が途中で停まったりという現象が2、3度起きた。今年の冬は寒い。いつなんどきお湯が水に変わるかもしれぬシャワーなんぞ、恐ろしすぎる。なにより、給湯器が完全に壊れてしまう前に修理してもらわなけりゃ、まずい。

 慌てて、ガス屋さんに修理を依頼する。給湯器は保証期間内。ついでに換気暖房乾燥機のカバーも取り寄せた。ただ、こちらも順番待ちで修理は2日後。結局、カバーが落ちかけたあの日から、全ての修理が終わるまで9日を要した。とはいっても、給湯器を使えない日がなかったのはさいわいであった。 

 この不具合の連鎖でわたしを驚かせたのは棚でり、台所仕事をするときの動きを体はこれほどまでに覚えているのか、ということだった。必要なときに下がる棚。わたしは必要な道具をそこから取って料理をし、濯いだ食器を無意識にそこに置いてきたのだ。

 このことは台所に限らず。家のモノたちは家の者とともに時を重ね、家のモノのあり様を家の者たちの体は無意識に覚えているのだろう。疲れたときに電子ピアノの前に座る娘たちは、おのずとそこへ向かってしまうのかもしれない。

 家のモノたちたは<ただ>そこにあるだけじゃないのだ。きっと。

 

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河口湖。

ブログの写真用にと、夫

西野 そら

 

 

西川さん

 ときどき名字を間違えられる。結婚する以前にはなかったことで、十中八九、西野が西川となるのだ。

 最初に呼び間違えられたのはおよそ20年まえ。長女が幼稚園に入園したころに遡る。

 ようやく親子ともども園生活になれ、子どもたちがそれぞれの家を行き来するようになった秋を迎えるころ。翌日一緒に遊ぶことになっていた子どものかあさんと幼稚園で立ち話をしていた。

「西川さん、明日は何時ごろにする?」

「えっと、西野ね」

 訂正するも、名前を覚えられていない気まずさが、ほんの一瞬、胸の内に沸き起こった。しかし間違えた当の本人はごめん、ごめん。さほど気にするふうでもない。だれしも間違いはある。わたしなんぞ間違えるどころか、数日話さないひとは同じクラスのかあさんといえども、すぐに名前がでない。それにくらべたら呼び間違いの方がよほどマシだとも思えた。

 ところが、このひとはそれ以降もたまにではあるが、わたしを西川さんと呼んだ。「西川さん」と言うや「ごめん、西野さん、西野さん」と言いなおしたり、気づかぬまま話が進んだり。このひとによると、西野より西川のほうが聞き慣れた名字だからつい間違える、ということらしかった。たしかに聞き慣れた名字、聞き慣れぬ名字というのはあるような気がする。そうか、西野は聞き慣れぬ名字と感じるひとがいるというわけだ。妙に納得したのだった。

 以来、娘ふたりの小学校、中学校、高校のどの時代をとっても、数度訂正をしたとて西川さんと呼ぶひとが1人、2人はいた。子ども関係以外の友人にもそういうひとはいるし、夫や娘たちも間違えられるのは、西川名(めい)のただひとつと言う。それだからいまでは、ほとんど訂正しない。西川さんと呼ぶ人もおそらく頭の奥深くではわたしを西野と認識はしていると思うからだ。

 いや、西なんとか程度の認識のひともいるだろうが。

 かりに、和田さんとか山口さんとか、どこからその名字がでてきたの?というような呼ばれ方をしたなら、あまりの認識されなさにがっがりし、悲しくもなるだろうけれど、今となっては、たとえば名前を忘れて口ごもるようなことがあっても「西野ですよ」と助け船だってだせる。付き合いの年数、親しさの程度にかかわらず、友人の名字がでてこないことがわたしも少なくないからだ。あの名前がでてこないときのもどかしさといったら、ない。

 

 実を言えばわたしにも呼び間違える人がある。夫の友人、塚田さんと塚本さんだ。わたしにとっては塚田さんが聞き慣れた名字。夫に塚田さんのことを話すときも、塚本さんのことを話すときにも、わたしは塚田さん言っているらしい。無論、悪気はない。

 

 

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長女がチョコレート持って帰りました。

これをみて、「なにつくろうか、ママ」

次女のあたまのなかはすでに

バレンタインデーに向いているのだな。

でも、わたしに頼る気満々、ですよね。

西野 そら

 

「おーい、オンナたち」

 東京駅の1、2番線ホーム。停まっている電車の、まだ、そこかしこが空いている座席の端に座る。発車時刻まで数分。あとからあとから人が乗り込んできて、たちまち席は埋まっていった。

 まもなく発車するわさわさしたホームから、

「おーい、オンナたち」

少しばかり張り詰めるような大きな声がした。その方向へ目をやると制服を着た中学生と思われる男子3人がわたしの乗る車輌にサッと乗り込んできた。

 オンナたちとは車両の端にいた女子3人組。遠足か修学旅行なのだろう。どうやら、先に乗り込んでいた女子たちは乗る電車をまちがえていたのらしい。電車から降りろと、指をホームに向け合図をおくり男子たちは電車から出ていった。

 一方の女子たちも「オンナたちだってぇ」とかなんとか言いながら、バタバタと電車を降りたちょうどそのとき、電車の扉は閉まったのだった。

 あら、男子ったらやるじゃない。でも、「オンナたち」だなんて。可笑しくなって「オンナたちって」とわたしもつぶやく。

 いまどき、男とか女とか性差を語るとなにかとややこしくなるけれど、まあ、それでもあえていうが、中学生ぐらいだとまだ、男子よりも女子の方がしっかりしている。

 わたしの中学時代、娘たちのその時代を思い返してみても、どうも男子は幼かった。ふたり以上集まればおふざけが始まってこ突き合ったり、ひとりでいるときにはぼーっと考えごとをしていたり。「ふざけないで」とか「ちゃんと聞いている?」女子はあれこれと世話をやくが、中学時代は男女を意識しだす年頃であるがゆえ、男子はやけに女子との距離を置きたがる。距離を置きたがるあまり、聞こえないふりなんかをしてさらに、女子を怒らせるようなことがあるのだ。

 しかし、電車とかバスとかの類については、男子の方がわかっているのかもしれない。名前も呼ばれず、ひとくくりにされた「オンナたち」は男子の活躍によって間一髪のところで間違いに気がつくことができたのだ。

 それにしても、「オンナたち」なんぞ久しぶりに耳にした。そのうえその響きは少しばかり懐かしくもあった。そうだ、伊丹十三の『女たちよ!』(新潮社)も読んだっけ。いつからかオンナという言いようは憚られはじめ、女性とか女子にとって変わったのだ。

 でもきっと、男同志ではいまでもオンナと言いあい、女同志ではオトコと言っているのじゃなかろうか。いや、だれのまえだろうと憚らずオトコと言っているな、わたしは。

 

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伊丹十三の『女たちよ!』の写真を撮ろうと 

本棚を探したけれど見つかりませんでした。

ずいぶん以前にもとめたので、

古本屋にだしてしまった気がしないでもなく。

そのかわりに

『やってみなはれ みとくんなはれ』山口瞳 開高健(新潮社)と

目があったので、久しぶりに読み直そうと取り出してきました。

『それは私です』柴田元幸新書館)は今読んでいる本。

西野 そら

積もる雪。

 ジャクジャクかな? ザクッザクッじゃないな。ギシギシ?

 夕方。わたしは歯医者に向かって歩いている。雪を踏みしめる音がどう聞こえるか、一歩足をだすごとに音をききとろうと、前かがみになる。

 雪を踏む音。靴が雪を押しつぶす感触。スキー場にでも行かなけりゃ、味わえぬ感覚であるからいまだ新鮮さがある。いまだというのは年齢の話。半世紀以上を生きてきたけれど、わたしの住む東京のまんなかあたりでは雪が積もるなんぞは何年かに一度だ。そんなわけで雪が積もる度に、少しばかり浮かれる。もちろん、年々、浮かれている時間は短縮されているが、いっときはやっぱり浮かれてしまうのだ。

 で、歩いてもアスファルトが見えぬほどに雪が積もったいつもの道の、真っさらなところを狙って足を下ろす。朝のワイドショーで雪の日に長靴はダメよ(ゴムの長靴はとにかく足先が冷えるのらしい)と、雪国出身らしい司会者が言っていたから、娘のムートンブーツを履いてきた。足首まで埋もれるが、足先は冷たくない。

 シャグシャグでもない、やっぱりギシギシだろうか。

 雪と靴底が擦れあう音。オノマトペで表したいのに、これというのがない。なんだろう。考え考え歩く。

 家が建ち並ぶ小道から、通りへでた。ジャリジャリジャリ。スコップが雪をかき除く音。銀行の前の道を雪かきする行員の姿があった。寒いだろうにコートも羽織らず制服にパンプスという出で立ちでスコップを押し滑らせている。

 「浮かれてる場合じゃない」

 

 雪は降り続いた。布団にはいるまえ、カーテンをあける。

 雪あかり。なんて情緒のあふれる言葉だろう。雪あかりでいつもの風景がこんなにも神秘的な景色に一変するなんて。こんなところにも、ごくたまにしか降らない雪に浮かれてしまう理由があるのかもしれない。

 雪の多い地域の方々や、雪の影響で甚大な被害を受けた方がたもおられる。「浮かれてる場合じゃない」そう思いつつ見慣れた眺めの見慣れぬ光景に見入る。

 

 朝(1月23日)、玄関を出たばかりの夫から電話。

「できれば駐車場の雪かき、お願いします」

 

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久しぶりに花を飾りました。

好きなコデマリです。

12月は母からもらったハランを飾っていました。

花があると華やぎます。

西野 そら

日々のこと

 仕事始めの5日。終業時間の午後5時を少し回ったところで外に出て驚いた。

まだ空がほのかに明るい。ほんの2週間まえ。仕事納めだった12月21日には、同じ5時過ぎにはすでに真っ暗だったというのに。

 2週間分、春にちかづいたってことですな。

 

 1月2週目。月曜日。

 買い物からの帰り道、わたしの住むマンションの花壇で楚楚としたスイセンをみつける。群生しているのではなしに、住人の手によって植えられた2本。スイセンを見ると、その香りのよさを確認したくなってつい顔を近づけるが、この日は寒さに負けて、スイセンの存在を認めるにとどめる。

 冷たい風が鼻腔を刺激するものだから、誰かにお辞儀するように下を向いて歩いていたのだ。まさかスイセンにお辞儀することになろうとは。移ろう季節のはからいだろうか。

 

 1月2週目。日曜日の夜。

「おやすみ」

 高2の次女が自分の部屋にいったのは午後11時であった。おやすみのあとに「ああ気持ち悪い」とも言っていたが、さして気に留めずわたしも布団に入る。

 しばらくして、もどしたと次女が告げにくる。すっかり寝入っていたわたしは寝ぼけながら「何を食べたか」前日とこの日の食事事情を思い返す。嘔吐したときいておもいついたのは食あたりであった。しかしあたりそうなものは食べていない。現に次女以外はみな寝ている。もしや胃腸炎か。「とにかくお腹を温めて」わたしの布団のなかの湯たんぽを次女に持っていかせる。

 午前1時過ぎ。

 数度、嘔吐をしたという次女が歪んだ顔をしてわたしの枕元に立っている。ムカムカして眠れないと言う。わたしの布団にいれる。手首の下あたりの内関(ないかん)という、ムカつきに効くツボを押したり、胃に手を当てたり、背中をさすってやったりするものの、午前8時まで1時間毎に嘔吐を繰り返した。

 午前9時前。かかりつけの病院での診断はやはり胃腸炎。処方された薬を飲み、ようやく次女は眠りの世界のひととなった。どうやら今夜もわたしの布団で寝るのらしい。いまも体調が悪いと次女は厭わずにわたしの布団に入ってくる。いい歳をして、なんぞこれっぽちも思わない。

 ああ、今夜もぬくぬくな布団だ。

 

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これでブログを書きます。

場所はダイニングテーブル。

西野 そら

 

「スマホ、忘れてきたみたい」

 

 年末年始をハワイで過ごすこととなった。

 成田空港へ向かう。

 うちの最寄り駅から電車に乗るのは次女とわたしの2人。夫と長女は出発当日のこの日も出社したからだ。夫は次女とわたしが新宿駅から乗る成田エクスプレスに東京駅から乗車する。長女は成田空港で落ち合うという算段だ。

 

 さて、話を続けます。

 最寄り駅から新宿へ向かう電車に乗るや、いやな予感がした。隣に立つ次女に気づかれぬようにコートのポケット、ジーンズのお尻のポケットに手を当てる。が、それらしい手応えがない。手提げカバンのなかを静かにかきましてもアヤツは姿を現さなかった。やはり置いてきたのだ。やってしまった。でもまあ、しかたない。パスポートのように旅行自体を揺るがす不可欠なモノとはちがう。なきゃないでどうにかなる。むしろこんな忘れ物ですんでよかった。内心ほっとしながら、

スマホ、忘れてきたみたい」

次女に耳打ちする。まだ隣駅に着く前だった。

「エッー、嘘でしょう?取りに帰ンなよ」

呆然とし、且つ怒りを秘めているような面持ちの次女にわたしもまた、呆然とする。

「どうして帰らなきゃいけないのよ。スマホがなくても困らないから大丈夫」

「ママは困らないだろうけど、みんな困るから、戻って」

次女はわたしの平静ぶりに、そうとう腹が立ったようである。自分のスマートフォンをチャッチャと操り、まだ会社にいる夫にラインで成り行きを訴えている。

 夫も取りに帰れということだったらしいが、

iPadもノートパソコンも持っていくのよ。なんならわたしがiPadを持ち歩けばいいはなしでしょ?第一さ、今から戻ったんじゃ、成田エクスプレスの時間に間に合わないから」

 戻らないとキッパリと次女に宣言したのは最寄り駅と新宿のちょうど中間地点だった。憤懣遣る方無い次女。ラインで報告した長女からの返信「意味不明」(わたしの言動の意味がわからないということらしい)をわたしに伝え、どうにか腹の虫を納めたようであった。

 それにしてもだ。スマートフォンへの依存たるやどうだろう。スマートフォンを持たない不便さを家族ほど感じていないわたしであったが、実をいえば夫や娘たちが思いもよらぬほどに呆れ果てるから、にわかに不安がたちこめたのだ。わたしはスマートフォンの威力を見くびっているのかもしれない。

 いやいや、かつてハワイを訪れた折にはスマートフォンなどなかった。最後に行った6年前ですら、携帯電話は持っていたもののさほどそれを使った覚えもない。だから、このたびもきっと大丈夫。

 

 ハワイに着いた途端。わたしは夫か娘どちらかの傍にいるようにしたし、ついふらふら歩き回っても気がつけば夫か娘のだれかがわたしの傍にいた。 果たしてスマートフォンがなくても困ることはなかった。

 とはいえ現地を歩く人、ビーチで日光浴をしている人の手は、人種に関わらず大抵スマートフォンらしきものを握り締めているから、驚く。そういえばこれまでのハワイ滞在に比して、言葉や地理のわからなさからくる心許なさは薄れたかもしれない。それが夫と娘たちが各自でスマートフォンを持っていたからなのか、大人4人(ひとりは17歳ではあるが)の甲斐性の賜物かはわからないにしても。

  

 成田空港でトランクを待っているときだ。

「ほら、スマホがなくても大丈夫だったでしょ?」

わたしの問いかけに、呆れた顔で次女が言った。

「大丈夫だったのは、ママだけ」

    

          

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2018年が明けて、はや9日。

本年もよろしくお願い申しあげます。

西野 そら