西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

日々のこと

 仕事始めの5日。終業時間の午後5時を少し回ったところで外に出て驚いた。

まだ空がほのかに明るい。ほんの2週間まえ。仕事納めだった12月21日には、同じ5時過ぎでもすでに真っ暗だったというのに。

 2週間分、春にちかづいたってことですな。

 

 1月2週目。月曜日。

 買い物からの帰り道、わたしの住むマンションの花壇で楚楚としたスイセンをみつける。群生しているのではなしに、住人の手によって植えられた2本。スイセンを見ると、その香りのよさを確認したくなってつい顔を近づけるが、この日は寒さに負けて、スイセンの存在を認めるにとどめる。

 冷たい風が鼻腔を刺激するものだから、誰かにお辞儀するように顔を下向いて歩いていたのだ。まさかスイセンにお辞儀することになろうとは。移ろう季節のはからいだろうか。

 

 1月2週目。日曜日の夜。

「おやすみ」

 次女が自分の部屋にいったのは午後11時であった。おやすみのあとに「ああ気持ち悪い」とも言っていたが、さして気に留めずわたしも布団に入る。

 しばらくして、もどしたと次女が告げにくる。すっかり寝入っていたわたしは寝ぼけながら「何を食べたか」前日とこの日の食事事情に思いを馳せる。嘔吐したときいておもいついたのは食あたりであった。しかしあたりそうなものは食べていない。現に次女以外はみな寝ている。胃腸炎かもしれない。「とにかくお腹を温めて」わたしの布団のなかの湯たんぽを次女に持っていかせる。

 午前1時過ぎ。

 数度、嘔吐をしたという次女が歪んだ顔をしてわたしの枕元に立っている。ムカムカして眠れないと言う。わたしの布団にいれる。手首の下あたりの内関(ないかん)という、ムカつきに効くツボを押したり、胃に手を当てたり、背中をさすってやったりするものの、午前8時まで1時間毎に嘔吐を繰り返した。

 午前9時前に着いたかかりつけの病院では、やはり胃腸炎の診断。処方された薬を飲み、ようやく眠り世界のひととなった。今夜もわたしの布団で寝るのらしい。

 次女はいまでも、体調が悪いと厭わずにわたしの布団に入ってくる。いい歳をして。なんぞこれっぽちも思わない。ああ、今夜もぬくぬくな布団だ。

 

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これでブログを書きます。

場所はダイニングテーブル。

西野 そら

 

「スマホ、忘れてきたみたい」

 

 年末年始をハワイで過ごすこととなった。

 成田空港へ向かう。

 うちの最寄り駅から電車に乗るのは次女とわたしの2人。夫と長女は出発当日のこの日も出社したからだ。夫は次女とわたしが新宿駅から乗る成田エクスプレスに東京駅から乗車する。長女は成田空港で落ち合うという算段だ。

 

 さて、話を続けます。

 最寄り駅から新宿へ向かう電車に乗るや、いやな予感がした。隣に立つ次女に気づかれぬようにコートのポケット、ジーンズのお尻のポケットに手を当てる。が、それらしい手応えがない。手提げカバンのなかを静かにかきましてもアヤツは姿を現さなかった。やはり置いてきたのだ。やってしまった。でもまあ、しかたない。パスポートのように旅行自体を揺るがす不可欠なモノとはちがう。なきゃないでどうにかなる。むしろこんな忘れ物ですんでよかった。内心ほっとしながら、

スマホ、忘れてきたみたい」

次女に耳打ちする。まだ隣駅に着く前だった。

「エッー、嘘でしょう?取りに帰ンなよ」

呆然とし、且つ怒りを秘めているような面持ちの次女にわたしもまた、呆然とする。

「どうして帰らなきゃいけないのよ。スマホがなくても困らないから大丈夫」

「ママは困らないだろうけど、みんな困るから、戻って」

次女はわたしの平静ぶりに、そうとう腹が立ったようである。自分のスマートフォンをチャッチャと操り、まだ会社にいる夫にラインで成り行きを訴えている。

 夫も取りに帰れということだったらしいが、

iPadもノートパソコンも持っていくのよ。なんならわたしがiPadを持ち歩けばいいはなしでしょ?第一さ、今から戻ったんじゃ、成田エクスプレスの時間に間に合わないから」

 戻らないとキッパリと次女に宣言したのは最寄り駅と新宿のちょうど中間地点だった。憤懣遣る方無い次女。ラインで報告した長女からの返信「意味不明」(わたしの言動の意味がわからないということらしい)をわたしに伝え、どうにか腹の虫を納めたようであった。

 それにしてもだ。スマートフォンへの依存たるやどうだろう。スマートフォンを持たない不便さを家族ほど感じていないわたしであったが、実をいえば夫や娘たちが思いもよらぬほどに呆れ果てるから、にわかに不安がたちこめたのだ。わたしはスマートフォンの威力を見くびっているのかもしれない。

 いやいや、かつてハワイを訪れた折にはスマートフォンなどなかった。最後に行った6年前ですら、携帯電話は持っていたもののさほどそれを使った覚えもない。だから、このたびもきっと大丈夫。

 

 ハワイに着いた途端。わたしは夫か娘どちらかの傍にいるようにしたし、ついふらふら歩き回っても気がつけば夫か娘のだれかがわたしの傍にいた。 果たしてスマートフォンがなくても困ることはなかった。

 とはいえ現地を歩く人、ビーチで日光浴をしている人の手は、人種に関わらず大抵スマートフォンらしきものを握り締めているから、驚く。そういえばこれまでのハワイ滞在に比して、言葉や地理のわからなさからくる心許なさは薄れたかもしれない。それが夫と娘たちが各自でスマートフォンを持っていたからなのか、大人4人(ひとりは17歳ではあるが)の甲斐性の賜物かはわからないにしても。

  

 成田空港でトランクを待っているときだ。

「ほら、スマホがなくても大丈夫だったでしょ?」

わたしの問いかけに、呆れた顔で次女が言った。

「大丈夫だったのは、ママだけ」

    

          

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2018年が明けて、はや9日。

本年もよろしくお願い申しあげます。

西野 そら

はじまりとおわり

 2017年は年明け早々、外に出よう(仕事をしよう)という気持ちが芽生えた。とはいえ四半世紀ぶりに働こうというのだ。全くもって現実的な話ではないが、駄目元だ。結果はどうであれ、ともかく行く先の道をみつけたかった。実のところ、みつかるのか、みつからないのかもわからなかったが、思いがけずことが運び4月から1年契約の期間限定ではあったが臨時職員の仕事を得る。それまでとは違う暮らし方のはじまりであった。

 それにしても、ことが動きだすまでは道なき茂みにみえても、そこに分入ってしまえば自ずと道はひろがってゆくのかもしれない。最近のわたしはそんなことを考えている。

 

 12月半ばの第2木曜日。

 5年半通った文章講座の最終日であった。月に2回の文章講座では、講師が決めたテーマで800〜1000字のエッセイを書き、提出することが課題である。

 この講座に通いたいと思った一番のめあては書くことを学ぶはもとより、講師が随筆家の山本ふみこさんであったからだ。日常を慈しむ山本ふみこさんのエッセイはわたしの心に染み入るものが少なくなかった。そんな随筆家の講座が開講するのだ。通わない手はなかった。

 山本せんせいは書くこと読むこと考えることの面白み、難しさを、さりげなく淡々と話される。そうして、難しさもあるけれど、でもやっぱり書くことは楽しいでしょ?と、わたしたちを書こうという気にさせるのだった。講座がはじまった当初は、まさか5年半も続くとは思ってもいなかった。が、終わったいまは、まさか終わるとは、という心持ちである。

 しかし、はじまりがあれば終わりはくる。そして終わりがくればはじまりもまた訪れるのだ。

 さあて、新しい年にはどんなはじまりと終わりがあるのやら。

 怖いような、楽しみなような。楽しみなような、怖いような。

 

 

 2017年、最後の火曜日。

 この場にきてくださったみなさま、ありがとうございました。そしてコメントを残してくださった方々にも感謝いたします。

 どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

 

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西野 そら

真逆の感情

 金曜日の朝。

「今日は会食があるから、夕飯いらないよ」

思い出したように早口で夫が言った。師走だ。たびたびの会食、忘年会といった集いも仕事である。

「たいへんなことで」

多忙な夫を気の毒に思いながらも(もちろん感謝もしております)、じつをいえば、にわかにウキウキしていた。

 前夜、高校生の次女から「明日は友だちと食べてくる」と夕飯いらない宣言があったのだ。夫も夕飯がいらないとなると、滅多にない夕飯要らずの気楽な夜になるやもしれず。あのこも外で食べてきてくれないかしら。すでに出勤した長女にも今晩は予定がありますように(本当は予定などない。予定があるときは言って出かけてゆくから)。妙な期待をいだく。

 

 子どもたちが大きくなると、ときには夕飯を外ですませてくることがある。されど、夫と娘たちの3人全員が同じ日に外食ということは、ほぼない。たいていは2人が外、ひとりは家となる。それだからどうしたって、夕飯をつくらないわけにはゆかない。

 師走にはいって「今日は家」「今日は外食」三人三様の予定に合わせた夕飯づくりに、わたしはひとりカリカリしていた。

 

 よしっ、今日は頼んでみよう。昼過ぎ長女にメッセージを送る。

「あなた以外は夕飯がいらないらしいので、友だちと食べてきてくれるとありがたいのですが、どうでしょう?」「いいよ」。 

 そんなわけで、暮れ合いまもなく、トマトのチーズ焼きと白ワイン2杯の夕飯をすませ、サッサとかたづける。そしてソファーに寝そべる。アァ、シアワセ。いっそ、誰かが帰ってくるまで眠っていようか。

 ところが。ガチャリと玄関の鍵を開ける音。夢か、現か。そっと薄眼を開けると長女が居間に入ってきた。とっさに時計をみると午後7時15分。

「は、早いわね、食べてきたの?」わたしの戸惑いに「あ、忘れてた」。

 昼間のわたしとのやりとりを忘れ、帰ってきたのだと言う。

 

 まったくもう、と思うより先に台所に立つ。

 米を研ぎ、浸け置くことなくご飯炊き用土鍋でご飯を炊く。熱したガスコンロのグリルに金目鯛の干物をいれる。レンジでチンした小松菜をかたくしぼり、適当な長さに切る。煮干し粉、かつお粉、味噌を適当にお椀に入れる。フライパンにサラダ油とゴマ油を熱し、溶き卵をさっと炒め、皿にあける。そのフライパンで切ったターツァイ、ミニトマトを炒め、塩胡椒。炒めた卵を戻し、醤油少々を鍋肌に回しいれ、軽く混ぜ合わせて皿に盛る。お椀に切った小松菜を入れ、熱湯を注ぐ。

 午後8時まえ。炊きたてご飯、簡易味噌汁、焼き魚、野菜の炒め物をテーブルに並べる。簡単なごはんであるが「おいしい。ああ、しあわせ」と長女。

 

 つくらないシアワセあり、つくるシアワセあり。わたしたちは真逆の感情をもちあわせている。

 

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ある日の夕暮れ。

西野 そら

 テレビをつけると、プロ野球の野村元監督が門前で、夫人が亡くなったことを報道陣に話す姿が映っていた。わたしの記憶する監督よりも年老い、しばらくテレビにくぎづけとなる。

 門前の取材映像が終わると、野村元監督夫妻の過去の映像がながれはじめた。それがいつ頃の映像なのかはわからないが、たびたびテレビで監督夫妻を見た当時の、つまりわたしの記憶している監督がインタビューに応えていた。

 なにかと世間をにぎわせている沙知代夫人との結婚についての質問に、

「良縁、悪縁、奇縁と縁にもいろいろあるけど、せっかく結婚したんだから、良縁にしたほうがいいじゃない、そのために互いに努力するんですよ」

 言葉は少しちがうかもしれないが、そんな内容であった。

 

 良縁にするために努力する。ここで、わたしは唸る。たしかにそうだなあ。

 他人との生活なんぞ、努力なくしてはうまくゆかないのだ。はじまりは盲目的な愛があれど、そんな感情など長くは続かない。痘痕(あばた)を靨(えくぼ)と勘違いしていたと気がついた時点から努力はじまるのかもしれない。互いに歩み寄るためにケンカをし、そして修復させる。この修復は努力なしにはできないし、ケンカと修復の繰り返しも努力であろうし、気づかぬふり、見ぬふりも努力であろう。

 

 これは夫婦間だけのことではないかもしれない。他者との関係性においても、その縁が良きものとなるように距離をはかりはかり、できぬときがあるにしても、互いの立場を尊重しようと心を配ったり、相容れぬことがあってもいちいち気にしないようにしよとしてるじゃないの、わたしたち。

 考えてみると、良縁という言葉はとかく関係性の持続という点に気持ちが向きがちであるが、たとえその関係がきれることがあってもだ。そのかかわりでしか経験できないことがある。一旦は悪縁と思われた縁も、時の移ろいにより良縁の部類にいれてもいいか、と、いつかは思い直すこともあるかもしれない。

 

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西野そら

月とドーナツ

 思いがけず、大きな大きなまあるい月と遇う。

 月と遇う。こんな言い方はおかしいけれど、此の度はまさに「遇う」がふさわしかった。

 

 うちは集合住宅の4階。玄関先から左にすすむとエレベーターホールに続く廊下にでる構造である。そうだ。廊下の向こうは東の空が広がっていることを書いておかなければ、月と遇った話をはじめられない。

 月と遇ったのは玄関を出て、左への一歩をだしたその時だった。わたしの目線の先に広がる夜空に(といっても夕方の5時を回った時間ではあるが)、大きな大きなまあるい月がいた。「いる」というのもへんであるけれど、月がそこいて、思いがけず遇ってしまったと言う以外にどう言えばよいのかわからない。

 いつもは見上げているだけの月だけれど、この日の月は大きく、近かった。知り合いと遭遇したような驚きと懐かしさだろうか。「こんばんは」声にはださなかったが、わたしはとっさに胸の内で挨拶をしたような気さえする。

 

 どうやら、わたしの遇ったあの月は、ことし(2017年)一番大きく見える満月だったらしい。当日の深夜パソコンをひらいて知る。12月にはいって3日目のことだ。

 

 思いがけず、外での仕事と出あえた此の年。

 最後の一枚となったことしのカレンダーにも出勤日が記してある。出勤するたびに初めて経験することがあった7ヶ月である。初めて経験することにたじろがないために、できるだけ体力や気力を温存させようと、家の事ごとはルーチン的にすませてしまった7ヶ月ともいえようか。

 それにしても、仕事をはじめた4月から師走になるまでの早いこと早いこと。日々を済し崩しに重ねてきたような気がしないでもない。が、この年もわたしの人生の一年であり、すぐにはわからないにしても、なくてはならない日々であったはずであると思いたい。

 ことし一番の大きな大きなまあるい月に遇えたことも、いつかふと思い出しては懐かしむ日があるのだろうな。

 

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12月3日の月の写真は撮らなかったので、

その日夫が土産に買ってきたドーナツを

撮りました。

西野 そら

居合せる

 土曜日。

 到着予定時刻を5分過ぎていたが、待ち人来ず。出入り口付近で賓客を迎え入れようと待機していた、いつもは険しい顔つきの上司が、うろたえている。

「まだ、おみえにならないのよ」

 さらに5分後。変わらぬ状況に、もはやすがるような目で、

「困ったなぁ」

 と、上司は言い言いあたりをウロウロして、また出入り口にもどる。

 遅れているといっても、まだ10分を過ぎた程度。そこまでうろたえるような事態ではなかろうに。とは思うものの、これは責任を追わない立場であるゆえの考えだ。このまま到着時間が遅れていったら……。もしも来られなかったら……。最悪の事態を想定し、対処しなければならない上司の立場ではこの10分が、たかが10分とは思えないのもわからないではない。

 困っている上司に立場の違う周りの者たちは「遅いですね」「そろそろお見えになりますよ」無責任ではあるが共感のことばや肯定的なことばをかけるしかできない。

 結局、賓客は15分遅れで到着し、上司はいつものキリリとした顔つきにもどった。

  

 日曜日。

 夕飯の買い物にでかけたときだ。スーパーマケットの広い平面駐車場に車を止め、隣の車にぶつけないようにドアを開けようとしたその時、隣の車の中に半ベソをかいている男の子の顔がみえた。小学校に上がるか上がらないくらいだろうか。ギョッとしつつ車を降りる。うちの車のまえにまわり、夫がおりてくるのを待ちながら、さりげなく隣の車の様子を窺う。どうやら男の子がひとりでいるよう。この子もまた、すがるような目でわたしの顔を見ている。

「だいじょうぶ?」と口パクで訊く。すると「だめ」と男の子の口が動いた。「だめ?」訊き返すと首を縦にふる。「ちょっとまってて」口パクで答え、ナンバープレートの数字をノートに書きうつす。夫はその場に残り、わたしは急いで店に走った。

 受付で説明をすると、店内放送でナンバーを呼び出し、車の主人(あるじ)を待ったが、それらしきひとは現れない。とりあえず車の位置を教えるべく、店の人と駐車場に向かっている途中だった。「お祖父ちゃんが戻ってきたよ。そっちにいくから」と夫から電話がはいった。

 大事に至らずにすんでよかった、よかった。一人でよく耐えた。エライ。という話なのだけれど、ふと、ふと思ったのだ。 

 年々少なくはなるだろうがいくつになっても初めてのことはあるわけで、どんなひとであろうが困るときには困る。そして。年齢に関係なく、困ったことに向き合い対処する(対処しない)のは困っている当事者だけなんだなぁ、と。

 周りの者も困っているふうではあるけれど⎯⎯⎯困っているひとが子どもの場合には解決の緒(いとぐち)になるようなことしてやれる場合はあるが⎯⎯⎯ただ、一緒に困っているのであって、言ってしまえば一時だけ、我がことのように困っているという感じじゃなかろうか。

 状況が変わるまで(変わらない場合もあるだろうが)そのことに向き合うのは、やっぱり当事者だけなのにちがいない。困った状況を経験しながら、知らぬうちにひとは孤独になれ、耐え、親しくなるのかもしれない。

 偶然にも定年間近の大人と、おそらく小学一年生前後の子どもがそれぞれに困っているところに居合わせることとなった、この週末。

 

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小金井公園(東京都小金井市)の陶器市でもとめた

陶板皿。これで焼くと、野菜も肉も魚もなんでも

おいしくなります。(個人の感想です)

西野  そら