西野そらの日々の事ごと

日々のさもない事ごと

それだから、筍を買いました。

 昨年のクリスマスはツリーを飾らなかった。クリスマスツリーだけでなしに、お雛様も飾らなかった。それだから、八百屋のまえで聞こえたきた「筍お買い得だよ!」の掛け声にハッとして、筍を買いました。

  

 19年前に買ったクリスマスツリーのサイズは130センチ。娘たちが幼いころは、自分より大きなツリーに気に入りのオーナメントを飾りたがり、チカチカ光る電飾に目を輝かせたけれど、年々、飾りつけはわたし任せになり、ツリーを飾ったとてほんの一瞬、目を輝かすだけとなり、チカチカ光る電飾は点灯する回数が減る一方だ。

 物置からツリーが入った箱をだしてひとりで飾り、一週間ほどで片づけるのは一仕事。「今年はツリーを出さなくてもいいよね?」とか「小さいツリーに買い替えない?」とか。これまで何度となく出す手間から逃れるべく提案をしてきた。だというのに「クリスマスにツリーを飾らないなんて、ない」「うちのツリーがいい」返ってくるのは決まって、こう。

 で、ときには強制的に手伝わせたりして、これまでなんとかかんとか飾ってきた。

 

 しかし、昨年はちがった。

 とにかく、娘たちと夫が家にいない。夫と長女は仕事で帰らず、次女も塾から帰ってくるのは午後10時をだいぶ過ぎたころ。それぞれが外でエネルギーを使い果たし、うちには寝るために帰る、というような感じ。この状態が3月まで続いたのだ。

 たのしむ人がいないのだもの。だからクリスマスツリーもお雛様も飾らなかった。

 飾ってあれば目の端で季節を感じて、娘たちは一瞬でもホッとしたかもしれないし、わたしが自分のためにクリスマスもお雛様も楽しめばよかったのかもしれない。

 横着せずに飾ればよかった。と思わないわけでもないが……。クリスマスの楽しさを、お雛様を飾るよろこびをともに味わう人がいるからこそ、一仕事でもしゃーない(仕方ない)と思えるのだ、わたしは。

 

 仕事が休みの月曜日。

 大きな鍋に筍2本、唐辛子、糠をいれて茹でる。冷めた筍の皮を剥き、半分に切る。一本分は水を張ったタッパーに入れて保存。もう一本で筍ごはんをつくる。

 ご飯ならともに味わえなくとも、それぞれが季節を味わう姿をそばで見ることができる。

 ともに味わえなくとも……、と思っていた矢先に長女、次女と夫からの連絡。めずらしく揃っての夕飯となることがわかった。そのうえ、リクエストまで。「筍の醤油焼きが食べたい」

 こうなると、俄然張り切っちゃうのである。

 

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翌朝の朝食。

残った筍ご飯でおにぎり。

西野 そら

ハレの日の服

 先週、クローゼットの古株であるコートのことを書いた。

 じつを言えば、黒いスーツについて書くつもりでいたのだが、おもいのほかコートへの愛着を吐露しすぎてスーツにまでたどりつかなかった。そんなわけで2週にわたり、古い服の話です。

 

 次女(高校生)の卒業式の前日。

 クローゼットから黒いスーツを取り出したときだ。あらっ、と思わず肩のあたりを二度見した。テカってる?

 素材がレーヨンと絹で、もともとわずかに光沢のあるスーツではある。しかし光沢とテカリは違う。

 ついにきたか。

 遡ること12年、長女の小学校卒業式を控えた3月初旬に、この黒いスーツをもとめた。長女と次女が6歳違いゆえ、翌月には次女の小学校入学式と続き、購入後早々2回の登場とあいなった(長女と次女の入学式の日が重なり、中学の入学式には夫が出席した)。

 長女の小学校卒業から次女の高校卒業までの12年間、3年おきにどちらかの入学式と卒業式に出席してきた。ある年には入学式用にクリーム色のスーツをもとめたものの、着たのは1度きり。手が伸びるのはこの黒いスーツであった。

 つまり。このたびの次女の卒業式さえのりきれば、娘たちのハレの日のほとんどをこのスーツは見届けることになる。それだから、ついにきたか、と思うと同時によくぞここまで、という心持ちでもあった。

 

 そして、卒業式を終えて家でスーツを脱いだとき。

 よくぞこの日までと、褒めてやりたくなったのは自分自身にでもあった。

 朝、スーツのジャケットのボタンをかけた途端、これまでにない着心地になった。少しばかり胸のあたりがキツイ。

 12年前のわたしは42歳。42歳といえば30代とおさらばして数年である。若くもないが若くなくも、ない。若くなくもない当時の体型がスーツのサイズ。あの日以来、体のお肉たちは重力に抗うことなく下がっていった。とはいえ、スーツが着られなくなるほどの体型の変化には至らなかったのだ。

 わたしったら、よくぞここまで踏ん張ったじゃないか。

 

 スーツと自分自身に労いの思いを感じた数日後。

 にわかに大学入学式への出席問題が沸き起こった。長女は付属高校だったので、大学の入学式には出席しなかった。付属という理由だけでなく、大学の入学式は親が出席しなくてもいいような気もしていたからだ。

 しかしここにきて、大学の入学式にも相当数の親が出席するらしいとわかったのだ。

 いまならまだ、スーツと体型はなんとかなる。さて、どうしよう。

 

 

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西野 そら

着古す

 物持ちがよいのか、捨てどきがわからないのか。こと衣服に関しては、自分のことながらこの判断がつかない。

 クローゼットの中の一番の古株は、27、8年前、20代半ばでもとめた4℃のコート。いまの若い人にはジュエリーブランドの4℃とコートとがつながらないかもしれないが、当時は服も取り扱っていたのです。

 紺地でウールのステンカラーコートはシンプルなだけに出番が少なくなかった。とはいっても、次第にクローゼットの端が定位置となり、長らく暗い時間を過ごすことになる。考えてみれば出番の少なくなったあの時期が、捨てどきだったのかもしれない。

 しかし。いくら出番が少なくなったとて、少しも時代遅れでない形と質のよい生地のコートを捨てようという気にはならなかった。着られるのに捨てるのはコートに悪いような気もしたのだ。

 そんなこんなで月日だけが過ぎてゆくうちに、捨てられない神に拾う神あり(ちょっとモジってみました)で、コートは数年まえに長女のクローゼットへ越していった。そして、いまも活躍中である。

 じつをいえば。少しまえ、このコートを着た長女の姿が寒そうに見えた。「生地が薄くなって、寒そう」捨てどきであることを伝えるも「全然寒くない」と長女は一蹴したのだ。なにもヨレタたコートを着なくても、この冬に自分で買った暖かいコートがあるし、他にも何着かあるのだけれど……。あぁ、こうして捨てどきが、だらだらと先延ばしにされてゆくのにちがいない。

 春めいてきた。 さて、コートの行方は如何に……。

 

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そういえば以前にこのコートの写真を

撮ったことを思い出し、

過去の記事を探してみました。

2017年4月4日の記事に載せていました。

西野 そら

社会人と幼稚園生

「焼肉食べたーい」

次女の要望にこたえ2月最後の日曜日は、焼肉の日となる。

 予約したのは、ここ何年か通う焼肉店。とはいえ、家族で焼肉を食べるのは年に3、4回程度。注文する以外、お店のひとと話すこともない。それだからわたしたちの顔や名前が覚えられているかは定かでないが、たいてい格子の間仕切りでしきられた、堀座卓の半個室に案内してくれる。そうか、予約優先席なのかもしれない。

 半個室といっても格子の間仕切りであるから、隣の声の通りは、すこぶるよい。それでも仕切られた空間は内輪的要素が強く気兼ねなく食事ができるよさがある。

 で、このたびも半個室の席。注文したビール、肉、野菜の第一弾が運ばれてきたところで乾杯。さあ、食べようというそのとき。長女がごく自然にトングを持ち、肉を焼きはじめた。

 これまではわたしと夫で、せっせと肉を焼いてきた。焼肉に限らず外食したおり、大皿で出てきた料理はわたしが人数分に取り分けるのが常であったから、長女のこの振るまいに夫もわたしも一瞬動きが止まった。

「……焼いてくれるの?」「社会人になって2年もたつと、こういうことができるようになるんだぁ」

 小学生の子どもが肉を焼こうって話じゃない。直25歳になる大人といえば大人が、肉を焼いているのである。目を細めてしみじみすることじゃあ、ない。が、かの水泳選手の言葉「何もいえね」ってな、こころもちになるのだ。まったくもって親バカである。いや、バカ親か?

 そしてなにより。このひとはちゃんと社会に鍛えられている。こう思えたことがありがたく、嬉しいのでありました。

 

 そんなわけで食べることに専念し、いよいよ締めの冷麺を食べているとき。

「食べたくなーい。眠いよ。ねむい」

幼稚園児ぐらいの男の子が半べそをかきながら隣の席にやってきた。格子の隙間から見えるのはお父さんとお母さんと男の子の妹の4人家族。

 男の子は席に座ってからもずっと、食べたくない、帰りたい、眠いを繰り返す。お父さんはボソボソと何かを言うがこちらには聞こえない。一方お母さんは宥めたり、叱りつけたり。肉を焼いたり。

 格子間仕切りの向こうに、20年前のわたしたち家族がいた。今日は焼肉の日。こんなときに限って子どもはぐずるんだよなあ。

 でもね。これだから、大人になった子どもが、ただ肉を焼いてくれるだけで親は何ともいえない気持ちになるのだと思うのです。

 格子のこちら側から、20年後の隣の家族を想像する。

 

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桜茶をいれました。

西野 そら

睦月、如月。

「1月、長くない?」

夕飯の片づけをしていた長女が話しかけてきた。ほー、このひともそうだったか。

 成人の日(1/14)が過ぎたころから、カレンダー、新聞、パソコンで日付を見るたびに「ひゃー、まだ1月」「えっー、まだ1月」わたしはこう思っていたのだ。

 12月の暮れ、胃腸炎を患った。体調が戻ってからもウイルスが家族にひろがらぬよう願いながら、わたしはおずおずと新年のしたくをした。1月の仕事はじめのころには、夫がインフルエンザに罹患。長女、次女とわたし3人ともにインフルエンザウイルスにやられまいと、見えぬウイルスと静かに闘ったりもした。

 そんなこんであったから、雑誌の合併号のように、12/1月のふた月分を1月と捉えてしまい、わたしは長く感じているのだろうか。

 それとも。気にかかるあれやこれやが停滞している1月だから、ことが運ぶであろう2月が待ち遠しいのか……。

 

「1月、長くない?」

わたしは大きく頷きながら応える。

「2月まで、あと3日もあるものね」

 

「2月、早くない?」

風呂上がり洗面所で髪を乾かしていた次女が鏡越しに話しかけてきた。ほー、このひともそうだったか。 

 どうやら1月は次女にとっても長かったらしい。が、昨夜(5日)は、2月にはいってもう1週間だよと驚くのだ。いやいや、あと2日あるじゃないの。先走りしすぎだ。まあ、それだけ2月に入ってからの時間の進み方が早い、と感じているのにちがいない。

 停滞していたあれやこれやが少しずつ動きはじめた2月。じつはわたしも思っている。あら、やだ。もう6日じゃないの! 

 

 年々、時が経つのが早くなっている。過ぎさる時間を慌てて追いかけている、そんな感じ。だから1月は久しぶりに待ち遠しさを味わう時間であった。

 ここまで書いて、はたと思う。待ち遠しいという言葉には期待という意味合いも含まれる。ということは、願っている事ごと、停滞しているあれやこれやに期待しているのだな、わたしは。

 

 

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妹から送られてきた画像(掲載許可済み)。

小3の姪っ子が踵を骨折したそうです。

痛々しいけれど……。

でもじつは。初ギブスの姪っ子が

得意げな顔でピースをしている画像なのです。

そして、小5の兄(甥っ子)は

ギブス姿の妹を羨ましそうに見ているのですって。

非日常的なものは、妙に格好よくみえたりするから、

得意げになる気持ち、それを羨む気持ちの両方とも、

わかる、わかると思った次第です。

西野 そら

A6サイズ

 かばんの中にあるもの。財布、家の鍵、ハンカチ、ティッシュ、化粧ポーチとスマートフォン。夏の時期と雨が降りそうな日には、汗拭きシートと晴雨兼用の折りたたみ日傘が加わる。そうだ、電車に乗る外出の場合は文庫本も。これらがわたしにとって必要最低限のものたち。

 数人で出かけると、「どうぞ」とかばんの中から飴を配ってくれる人がひとりはいる。そのうえビニール袋も取り出し、飴の包み紙をビニール袋に集めて持ち帰る人もある。こういう人のかばんにはなべて、携帯用裁縫道具やバンドエードの類もきっちり納まっているものだ。備えのよい人をまえにすると、自分の出来の悪さが身にしみるけれど、次出かけるときに飴やビニール袋をかばんにしのばせるかといえば、そうはしない。備えのよさより身軽である方がわたしにとって優先順位が上なのだ。

 これほどまでに身軽がいいと思っているというのに、数年まえから無印良品のA6サイズのダブルリングノートが必要最低限のものたちに仲間入りを果たした。

 なんでもノート。スケジュール帳をもたないうえに、覚えておきたいことが容赦無く記憶から消えてゆくものだから、なんでも書きつけるノートをもつことにしたというわけだ。2019年1月15日現在、まだ数頁残っているから、書き付ける頻度はそう多くはないのだけれど。

 使い始めの頁にはこうある。

 2016/9/25『 HHhH』ローラン・ビネ 高橋啓訳(東京創元社)読了。ナチ ハイドリッヒ ガブチーク

 そのあとの頁をランダムに開くと、

 2017/2/23 試合 苦痛 勝負のゆううつ わたしの戦いどころ つきなみですが

 2018/7/23 注文数50 送料 注文数 11月末発注

 やはり、なんでもノートだけのことはある。

 2017年2月23日に書いてあることなど、今読み返すとなぜこんなことを書いたのか、さっぱり思い出せない。試合ってなんだ?そうとう追い込まれているふうな言葉の羅列で、よろしくない感情だったのだろうことがうかがえる。2018年7月23日の分は次女の高校の謝恩会で配る記念品のこと。

 なんでもノートの頁を繰る……。そこにあるのは忘れて構わないこと、忘れてしまいた感情、覚えておきたいこと、書き付けていなかったら思い出しもしなかった事ごと。

 

  追記:かばんの中に仲間入りした「なんでもノート」の他に、ペンケースも仲間いりしました。赤いペンケース。ああ、すっかり忘れてました。

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なんだと思いますか。

鉛筆けずりです。

受験生には必需品らしいです。

西野 そら

 

年末年始

 昨年最後のブログを更新した(12月26日)あの日。

 明け方ごろから胃のあたりの臓器が、ジタバタしはじめていた。痛みでうつらうつらするなか、次女の弁当、出勤前に撮るつもりでいたブログ用の写真、職場の事ごとに思いをめぐらせる。

 そして、すっかり目覚めてしまわない程度にぼんやりと自問自答をしたのだ。

 できるかな。……やらないと。……とにかく眠ろう。

 

 けれども、朝目覚めたときには胃を絞ったような痛みにくわえ、胃腸炎の症状がそっくりでていた。

 食あたり?ウイルス性?

 どちらにしても夫や娘たち(一人は受験生!)に、うつすわけにはゆかない。朝ごはんと弁当はつくらない。家族に宣言する。仕事も休まないとダメだろう。申しわけない思いで職場に連絡をする。ブログ用の写真。これは台所で目の端にとまった赤トウガラシを撮る。予約投稿の手はずを整え、布団にもぐりこむ。

 仕事が休みの翌27日もひたすら眠り、仕事納めの28日にはどうにか出勤と相なった。

 

 じつは27日から31日までの5日間が、ちょっとすごかった。   

 27日夕方、わたしの胃腸炎はウイルス性であったと判明した。夫に胃腸炎の症状がでたからだ。とはいってもウイルスはさして暴れず、感染は夫以外に広がらずにすんだ。

 28日、次女が鼻声になり、風邪の気配をただよわせる。

 29日、夜から次女発熱(30日は1日眠り、31日復活)。

 30日、近くに住む84歳の母が体調を崩し、31日にはいよいよ入院かという事態にまでなった。父はうろたえ、血圧が上がる。結局、入院には至らなかったが、母は原因不明の体調不良のまま新年を迎えることになった。

 それにしても。母には感心する。

「これで悪いことはおしまい。新年はいいことばかりよ」

 元気はないが、こう言ってのける。悪いことが重なっても母は光を見つけるひとだ。

 バタバタと2018年がおわっていった。

 

 2019年1月1日

 台所兼居間に花器として飾った竹筒が、突然割れて中の水が流れた。言葉で表すとこうなるが、割れるのを教えたのは音。バキ、ジャー。

 笑っている場合ではないが笑える光景だった。しかし竹筒を飾ったキャビネット裏にはコンセントがあって、ケーブルやら電気コードが束ねてある。そこに水が滴たり落ちるものだから笑っていられない。

 新年はいいことばかりのはずなのに……。でも母流でゆけば、笑う角には福きたる。こんな調子にちがいない。 

 バタバタと2019年がはじまる。

 

         

               新年おめでとうございます。

               本年もよろしくお願いいたします。

 

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12月31日に花のバランスをみるために撮った写真です。

雑然としていますが、割れた竹筒をお見せしたく。

この竹筒の前の中央が下までくっきりと割れました。

西野 そら