西野そらの日々の事ごと

日々のさもない事ごと

避けられない衝突

 瞬間的にブレーキを握ったけれど、まにあわなかった。 

 脇道から街道に入るために停車している車をよけ、車のうしろ側を目指して自転車のハンドルを左に傾けた途端。いきなり目の前に若い女性の顔が現れた。

 ブレーキを握るも、甲斐なく衝突。そして倒れないように踏んばるも、あえなくわたしは転倒した。

 彼女にしたら、停車している車をよけ、左にハンドルを切るやいきなりおばさんの顔が現れ、自転車のブレーキをかけるも、甲斐なく衝突した、となる。しかし、ここからわたしと違うのは、踏んばりがきいた彼女は転倒せず、そのご救急車を要請し到着するまで、わたしを介抱する身に転じたことだ。 

 

 右目を手で抑え転倒したままわたしは動けなかった。右顔面と頭が猛烈にイタイ。

「大丈夫ですか」声の主は衝突相手の彼女。これまでに味わったことのない痛みを感じつつもダイジョウブと小さくこたえ、彼女の怪我の程度を訊く。

「わたしは怪我してないです」

ソレナラ、ヨカッタ。

 

 救急車がわたしを搬送した先は、近くにある総合病院のERだった。問診のあとCT検査を受ける。診断は眼窩底骨折。全治一ヶ月。

 ことしの3月まで自転車通学をしていた次女に、車にはきをつけてね。スピード出しすぎないでね。脇道から出てくる人に気をつけるのよ。口酸っぱく言ってきた。

 でも、このたびの衝突でわかった。事故が起こるのは一瞬のこと。避けようにも避けきれないほどの一瞬。どうにもならない一瞬は、ある。

 

 彼女と再会したのは衝突してから4時間半後の午後10時前だった。ER診察室前のベンチで駆け付けてきた家の者と会計をまっていたときだ。「大丈夫ですか」彼女が声をかけてきた。

 衝突した時の緊張した顔とは違い、可愛らしいお嬢さんだった。怪我はないと言っていたが、左手小指に軽い捻挫をしたそうだ。とはいえ、それ以外は痛みもないと聞いて安心する。そして互いに謝罪しあった。

 車の手前では互いの姿を確認できなかった点、突然顔が目の前に現れ、あの衝突は避けられなかったという思いが共通していたことを確認しあえたのはよかった。これで「思い出したくない事故」とはならないだろうという気がした。

 不注意というのではなしに、避けられない事ごとがあることを知るのは、きっと大事。

 

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井の頭公園 リスの小径にて

撮影 長女。

西野 そら

ポケットの中

 家をでるとき、メンバーズカードをサッと取り出せるようにしてクリーニング店に向かった。ついでに、いつもこんなふうに備えるけど結局どこにいれたか忘れるから、今日こそは忘れないようにしなくちゃ。こう思ったこともハッキリ記憶している。

 だというのに、クリーニング店のカウンターでわたしは手さげカバンの中身をかきまわしている。 

 そんなわたしを見かねたクリーニング店のいつものおばさん、

「電話番号でもいいですよ」

すみません。頭を掻きながら番号を伝える。

 今日こそは忘れないようにと思って……、それでどこにいれたんだっけ。

 どうやらわたしは無意識にパンツのポケットにいれたらしかった。清算をしているときに、パンツのポケットに手を突っ込んで気がついた。

 

 忘れる。これまでにも散々やらかしてきた。たとえばわたしの算段で始末できる家の事ごと。こういうのは忘れたって気楽。忘れることで生じる失敗もたいした失敗とならず、自分自身に唖然とはするが、その後の感情は可笑しさへと移ろうことが少なくなかった。

 ところが。2年前に図書館での仕事をはじめてから、可笑しさなんて言ってる場合じゃない、となってきた。

 端末の使い方。対応の仕方。物の置き場所。慣れて覚えたつもりでいても、それをしない時間が続くと記憶ってものはどんどん薄れてゆく。

 で、あやふやになった記憶に慌てる。ましてや失敗につながったりしたら、その後感情はそうとうに揺れる。年齢のせい? 単にアタシがアホなだけ? メモの取り方が悪かった? 人間だもの、そりゃ忘れるよ。何かのせいにしようとしたり、落ち込んだり、反省したり。励ましてみたり。ってな具合。

 

 店先でモタモタしないように意識はした。でもカードをどこかにいれる動作は意識せず漫然と行なっていたのだな、わたしは。ポケットの中でメンバーズカードを掴みながら思った。

 そうだ。これまでも、ただ漫然とメモをとったり、漫然と話を聞いていただけだったのかもしれない。半世紀以上生きてきて、はじめてちとまじめに「漫然」を思い、揺れて硬くなっていた気持ちがふわりと緩んだ。

 些細なことである。けれど、生きている甲斐があるっていうのは、こういうときにつかってもいいような気がした、クリーニング店からの帰り道。

 

 

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今年初の小玉スイカ

メロンと変わらない大きさ。

西野 そら

わたしはいま、混乱している。

 上の子の妊娠がわかったとき、わたしは専業主婦の道を選んだ。いや、選んだというほど大層なはなしではない。たんに仕事をしながら赤児を育てる発想がなかったというだけ。

 仕事は代役がきくけれど、母の役目をだれかに任せるわけにはいかない。若いわたしは(といっても30歳)そんなふうに考えていた。  

 

 『〈女流〉放談 昭和を生きた女性作家たち』*を読んだ。

 日常の雑事を夫人が引き受けるから、男性作家は創作活動に専念できる。一方、家事をして子どもの面倒もみるのだから、女性作家は男性作家ほど専念はできない。男女平等でないこの点をどう思うか。この問いかけに昭和を生きた女性作家たちがそれぞれ答えている。

 

 進化する時代に変わらぬこの問題。これは作家に限らない。

 25年の専業主婦時代を経て、2年まえから非常勤の形態で仕事をはじめた。仕事をはじめてからこの本と出合ったから、余計にひっかかるのにちがいなかった。

 母の役目。

 娘たちが25歳と19歳になり、あらためて母の役目を考えている。

 乳幼児の時期はあまりの小ささに「わたしでなけりゃ、だめ」強くこう思っていた時代であったけれど、そんな時間は思いのほか短い。

 ごはんをつくり、清潔な衣服をしたくし、それなりに片づいた部屋で暮らす。こんな暮らしの基本の基以外に子どもの年代に応じて、やることはあるとしても、思い返すと「わたしでなけりゃ、だめ」という類の事ごとではなかったような気がする。

 ただ……。わたしが暮らしの基本の基をどう繰り返してきたか。いろいろな人や事ごとにどう関わってきたか。どんなふうに怠けていたか。子どもたちは無意識にわたしを見てきて無意識になにかを感じているだろうとは、思う。

 とすると、わたしの存在じたいが母の役目ということなのかもしれない。

 

 で、不安になった。

 いまや大人4人がそろっているというのに、うまい具合に家事の分担できない。夫と娘たちは「手伝い」でとどまっている。

 あたしだけ仕事もして、家のことも回してるじゃないのっ!  とやるわたしに夫と娘たちは口をそろえるのだ。

「そんなに大変なら仕事やめれば?」

 暮らしの基本の基。まさかこれを、母の役目だと娘たちに刷り込んでしまったのか。これは男女問わずある程度の年齢になれば、だれもがしてゆかなければならないこと。

 とはいえ、基本の基は奥が深い。家のことに専念するからこそ、みえてくることは少なからずある。

 家事分担問題。わたしはいま、混乱している。

 

 *『〈女流〉放談 昭和を生きた女性作家たち』イメラ・日地谷=キルシュネライト(岩波書店

 

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5月下旬の夕焼け。

この日、久しぶりに夕焼けに気がつきました。

しばらく空を見ていなかったことに

気がついた日でもあります。

西野 そら

 

オットとツマ

 子どもたちが同級生である友人2人と、ランチにでかけた。

「年をとると頑固になるよね」

「うん、なるなる」

 3人とも上の子が社会人、下の子が大学生。そして間もなく定年を迎える夫(うちは少し先)という家族構成だ。

 頑固になってきているのはそれぞれの夫であり、なんだかなあと思う共通の頑固さは、筋の通っていないことでも認めようとしない点である。

「最近じゃ、息子の言い分が正しいと思うことがふえてきた」

「わかる、それ」

「うちなんて、まさかパパがこうなるとは……、って下の子がいうわよ」

 だれかが何かを言えば、残る2人もすかさず我が家のケースを語り、笑いあっては共感したり、うちはまだマシかもと、安堵したり。

 

 「いよいよ来年の誕生日前日で定年」

 話題は頑固オヤジ化する夫から、定年後の暮らし方へと進展する。

 ここでの共通項は「もう、働きたくないと言う夫」。どこも定年になるその日を待ちわびてカウントダウンしている様子。

「65歳まで定年を引き延ばせるのよ。それなのに60歳で辞めるつもりらしい。1日中家にいて、なにするんだろう」

 60歳まで家族のために働いてくれているのだ。感謝しかない。何十年も満員の通勤電車に揺られ、これ以上電車に乗りたくないというのも納得できる。労いの気持ちでいっぱいでもある。不条理なことを言う得意先のない、スマートフォンから解放された暮らしをしてほしい。この気持ちに嘘偽りはない。

 でも、でもだ。

「ずっとふたりで家にいて、問題が生じないとは思えないのよ」

 確信をつくノリコさんの言葉にわたしたちはウンウン頷き、ケラケラ笑う。

   

 本当によく笑った。

 それにしても、夫を前にするとどうして笑いたくなくなるのだろう!? そうか、テレビの街頭インタビューで同年代と思われる夫君が答えていたっけ。

「うちの妻はいつも不機嫌」

 なぜ不機嫌なのかを問われると、

「僕がなにかしちゃってるんでしょうね、なにをしたかはよくわからないけど」。

 

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ゴールデンウイークに

修学旅行のようなコースで奈良と京都へ

家族でいってきました。

36年ぶりにみる奈良の大仏さま

やっぱり、大きかった!

東福寺の通天橋から見る景色も美しく。

それから。

以前の記事に書いた次女の大学の入学式。

結局、出席しませんでした。

西野 そら

それだから、筍を買いました。

 昨年のクリスマスはツリーを飾らなかった。クリスマスツリーだけでなしに、お雛様も飾らなかった。それだから、八百屋のまえで聞こえたきた「筍お買い得だよ!」の掛け声にハッとして、筍を買いました。

  

 19年前に買ったクリスマスツリーのサイズは130センチ。娘たちが幼いころは、自分より大きなツリーに気に入りのオーナメントを飾りたがり、チカチカ光る電飾に目を輝かせたけれど、年々、飾りつけはわたし任せになり、ツリーを飾ったとてほんの一瞬、目を輝かすだけとなり、チカチカ光る電飾は点灯する回数が減る一方だ。

 物置からツリーが入った箱をだしてひとりで飾り、一週間ほどで片づけるのは一仕事。「今年はツリーを出さなくてもいいよね?」とか「小さいツリーに買い替えない?」とか。これまで何度となく出す手間から逃れるべく提案をしてきた。だというのに「クリスマスにツリーを飾らないなんて、ない」「うちのツリーがいい」返ってくるのは決まって、こう。

 で、ときには強制的に手伝わせたりして、これまでなんとかかんとか飾ってきた。

 

 しかし、昨年はちがった。

 とにかく、娘たちと夫が家にいない。夫と長女は仕事で帰らず、次女も塾から帰ってくるのは午後10時をだいぶ過ぎたころ。それぞれが外でエネルギーを使い果たし、うちには寝るために帰る、というような感じ。この状態が3月まで続いたのだ。

 たのしむ人がいないのだもの。だからクリスマスツリーもお雛様も飾らなかった。

 飾ってあれば目の端で季節を感じて、娘たちは一瞬でもホッとしたかもしれないし、わたしが自分のためにクリスマスもお雛様も楽しめばよかったのかもしれない。

 横着せずに飾ればよかった。と思わないわけでもないが……。クリスマスの楽しさを、お雛様を飾るよろこびをともに味わう人がいるからこそ、一仕事でもしゃーない(仕方ない)と思えるのだ、わたしは。

 

 仕事が休みの月曜日。

 大きな鍋に筍2本、唐辛子、糠をいれて茹でる。冷めた筍の皮を剥き、半分に切る。一本分は水を張ったタッパーに入れて保存。もう一本で筍ごはんをつくる。

 ご飯ならともに味わえなくとも、それぞれが季節を味わう姿をそばで見ることができる。

 ともに味わえなくとも……、と思っていた矢先に長女、次女と夫からの連絡。めずらしく揃っての夕飯となることがわかった。そのうえ、リクエストまで。「筍の醤油焼きが食べたい」

 こうなると、俄然張り切っちゃうのである。

 

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翌朝の朝食。

残った筍ご飯でおにぎり。

西野 そら

ハレの日の服

 先週、クローゼットの古株であるコートのことを書いた。

 じつを言えば、黒いスーツについて書くつもりでいたのだが、おもいのほかコートへの愛着を吐露しすぎてスーツにまでたどりつかなかった。そんなわけで2週にわたり、古い服の話です。

 

 次女(高校生)の卒業式の前日。

 クローゼットから黒いスーツを取り出したときだ。あらっ、と思わず肩のあたりを二度見した。テカってる?

 素材がレーヨンと絹で、もともとわずかに光沢のあるスーツではある。しかし光沢とテカリは違う。

 ついにきたか。

 遡ること12年、長女の小学校卒業式を控えた3月初旬に、この黒いスーツをもとめた。長女と次女が6歳違いゆえ、翌月には次女の小学校入学式と続き、購入後早々2回の登場とあいなった(長女と次女の入学式の日が重なり、中学の入学式には夫が出席した)。

 長女の小学校卒業から次女の高校卒業までの12年間、3年おきにどちらかの入学式と卒業式に出席してきた。ある年には入学式用にクリーム色のスーツをもとめたものの、着たのは1度きり。手が伸びるのはこの黒いスーツであった。

 つまり。このたびの次女の卒業式さえのりきれば、娘たちのハレの日のほとんどをこのスーツは見届けることになる。それだから、ついにきたか、と思うと同時によくぞここまで、という心持ちでもあった。

 

 そして、卒業式を終えて家でスーツを脱いだとき。

 よくぞこの日までと、褒めてやりたくなったのは自分自身にでもあった。

 朝、スーツのジャケットのボタンをかけた途端、これまでにない着心地になった。少しばかり胸のあたりがキツイ。

 12年前のわたしは42歳。42歳といえば30代とおさらばして数年である。若くもないが若くなくも、ない。若くなくもない当時の体型がスーツのサイズ。あの日以来、体のお肉たちは重力に抗うことなく下がっていった。とはいえ、スーツが着られなくなるほどの体型の変化には至らなかったのだ。

 わたしったら、よくぞここまで踏ん張ったじゃないか。

 

 スーツと自分自身に労いの思いを感じた数日後。

 にわかに大学入学式への出席問題が沸き起こった。長女は付属高校だったので、大学の入学式には出席しなかった。付属という理由だけでなく、大学の入学式は親が出席しなくてもいいような気もしていたからだ。

 しかしここにきて、大学の入学式にも相当数の親が出席するらしいとわかったのだ。

 いまならまだ、スーツと体型はなんとかなる。さて、どうしよう。

 

 

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西野 そら

着古す

 物持ちがよいのか、捨てどきがわからないのか。こと衣服に関しては、自分のことながらこの判断がつかない。

 クローゼットの中の一番の古株は、27、8年前、20代半ばでもとめた4℃のコート。いまの若い人にはジュエリーブランドの4℃とコートとがつながらないかもしれないが、当時は服も取り扱っていたのです。

 紺地でウールのステンカラーコートはシンプルなだけに出番が少なくなかった。とはいっても、次第にクローゼットの端が定位置となり、長らく暗い時間を過ごすことになる。考えてみれば出番の少なくなったあの時期が、捨てどきだったのかもしれない。

 しかし。いくら出番が少なくなったとて、少しも時代遅れでない形と質のよい生地のコートを捨てようという気にはならなかった。着られるのに捨てるのはコートに悪いような気もしたのだ。

 そんなこんなで月日だけが過ぎてゆくうちに、捨てられない神に拾う神あり(ちょっとモジってみました)で、コートは数年まえに長女のクローゼットへ越していった。そして、いまも活躍中である。

 じつをいえば。少しまえ、このコートを着た長女の姿が寒そうに見えた。「生地が薄くなって、寒そう」捨てどきであることを伝えるも「全然寒くない」と長女は一蹴したのだ。なにもヨレタたコートを着なくても、この冬に自分で買った暖かいコートがあるし、他にも何着かあるのだけれど……。あぁ、こうして捨てどきが、だらだらと先延ばしにされてゆくのにちがいない。

 春めいてきた。 さて、コートの行方は如何に……。

 

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そういえば以前にこのコートの写真を

撮ったことを思い出し、

過去の記事を探してみました。

2017年4月4日の記事に載せていました。

西野 そら